これは、ただの自堕落だった男が、ポケットWi-Fiとカフェに出会うことで、ささやかな幸せや自己実現などの様々なものを手に入れ、人生を変えていった話
「休みの日は午前中のうちに絶対外に出ろ」
これは、ぼくが大学の4年間という長い時間と、膨大な学費を費やして得ることができた唯一の教訓だ。
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これは、ただの自堕落だった男が、ポケットWi-Fiとカフェに出会うことで、ささやかな幸せや自己実現などの様々なものを手に入れ、人生を変えていった話
「休みの日は午前中のうちに絶対外に出ろ」
これは、ぼくが大学の4年間という長い時間と、膨大な学費を費やして得ることができた唯一の教訓だ。
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最近、精神の具合がとても悪かった。
嫌なことが立て続けにあったからだろう。
嫌なこと、嫌な記憶というのは、考えないようにすればするほど、意識の上で膨張して存在感を増していく。
どうしたらこの不快な気分から抜け出せるのか、見当もつかない。
誰か、どうにかしてくれ。
そんなとき、気付いたら俺はAmazonのサイトを見ていた。
なんでアクセスしたのかは全く覚えてない。たぶん特に理由はない。
気付いたら、けっこう長いこと見続けていた。
そして、なんか知らんが、心がやけに落ち着いてきていることに気付いた。
なんだこれは?
どうしてこうなった?
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僕は、世界で1番不幸な人間だ。
そう思っていた。
高校時代に、ケガで生き甲斐だった陸上競技を諦めたとき。
大学生時代に、就職活動しているとき。
会社員時代に、吐きながら会社に通っていたとき。
ぼくはそう思っていた。
そして、その考えは、間違えじゃなかったと今でも断言できる。
それに関して、誰もぼくを論破できないことも断言できる。
人は自分というフィルターを通して世界を見ている。
この宇宙、この地球、この国、この町、ぼくらをとりまく、モノと他人。
それらを、自分の目と耳と肌で感じ取って、自分なりの解釈で意味づけをしたものが、僕らが認識している世界だ。
自分をとりまく全ての存在を、自分の世界観というメガネを介して見ている映像が、その人にとっての世界だ。
だから、君とぼくとでは、見ている世界、見えている世界がまったく違う。
君はレバーという食べ物が好きかもしれないが、ぼくはレバーが嫌いだ。
君はレバーというモノが美味しく感じられる世界で生きているが、ぼくはレバーが不味い世界を生きている。
物体としてのレバーは全く同じなのに、僕らの解釈を経て認識されるレバーは全く別物だ。
違うメガネをかけていれば、見える世界が違ってくるのは当然だ。
同じように、
全く同じことを言われても、それをセクハラだと感じる人もいれば、そうじゃない人もいる。
学校でイジメられて引きこもりになる人もいれば、そうじゃない人もいる。
高校時代、生き甲斐だった陸上競技ができなくなって、自分は世界一不幸だと思う人もいれば、そうじゃない人もいる。
大学時代、就職活動がツラいときに、自分は世界一不幸だと思う人もいれば、そうじゃない人もいる。
会社員時代、吐きながら会社に通っているときに、自分は世界一不幸だと思う人もいれば、そうじゃない人もいる。
ぼくらをとりまく全ての物事を、自分の価値観で意味づけを施したのが、その人にとっての世界だ。
だから、仮に「誰が世界で1番不幸か?」を決めようとしたとき、その人が遭遇した出来事を比較することでそれを決めることはできない。
勤めている会社が倒産してもあっけらかんとしている人もいれば、1000円札を落としただけで立ち直れなくなるぐらい落ち込む人もいる。
出来事だけを見れば前者の方が不幸だと思われるが、実際に感じている不幸が大きいのは後者だ。
不幸の総量は、その人がその出来事にどういう意味づけをするかで決まる。
だから、自分が世界1不幸だと思えば、
本気でそう思い込んでいれば、
紛れもなく、そいつが世界1不幸な人間なのである。
ぼくらは、不幸になろうと思えば、いくらでも不幸になれる。
それはつまり。
同時に、ぼくらは幸福になろうと思えば、いくらでも幸福になれるということだ。
先日、偶然入ったファミマで、元気よく男性店員が働いていた。
本当に楽しそうに働いていた。
その明るい人柄に魅かれてか、地元の人も親しみを持って話しかけていた。
その声にもまた、彼は元気よく笑顔で答えていた。
ぼくも大学時代コンビニでバイトしていたことがあった。
はっきり言って、コンビニの仕事は単調な作業ばかりだ。
だから当時のぼくは、つまらない仕事だと感じていた。
お客への応対も、決して愛想のあるものだとは言えなかっただろう。
だから彼の、そうやって働く姿勢に、本当に尊敬の念を感じた。
彼は決して、爽やかイケメンでもない。
どちらかというと、モサい。そしてちょっと太っていた。いや、結構太っていた。
そんな彼は、コンビニで楽しそうに、幸福そうに働いていた。
彼は、コンビニの仕事というものを、かつての僕とは違う解釈で見ていた。
違う世界で生きていた。
小学生の時、ボランティアだか何かで途上国の支援をしているという人が、講演に来たことがあった。
その時に、
「いま支援している国の人たちは、インフラや物資の面では日本の足元にも及ばないし、感染症や紛争も絶えない。だけど日常生活では、日本の人たちよりよく笑うんです」
と、言っていたのを思い出した。
僕らは誰でも、世界1不幸な人間になれる。
そして、誰でも、世界1幸福な人間にもなれる。
今、世界を見るための、あなたのメガネは汚れているかもしれない。
今、あなたの世界で、あなたは世界1不幸な人間かもしれない。
だけど、メガネが汚れているのなら、それを磨けばいいだけだ。
もちろん、こびりついた汚れは、1日では落ちない。
爪を噛むクセが1日では治せないように、
頭にこびりついた思考のクセは、一朝一夕では変えれないだろう。
だから、少しずつ変えていくしかない。
少しずつメガネを磨いていくしかない。
ときには、一向にレンズが綺麗にならず、メガネを磨くのが嫌になるかもしれない。
ときには、突然の砂嵐で昨日よりレンズが汚れてしまうかもしれない。
ときには、誰かの悪意でレンズが汚されてしまうかもしれない。
だけど、ときには、誰かが一緒にレンズを磨いてくれるかもしれない。
そうやって諦めずにレンズを磨いていれば、いつかはレンズの汚れを落としきることができる。
そして、再びメガネをかけ直したとき。
これまで見てきた世界とは、まったく違う景色を見ることができるはずだ。
2018年は、もっと幸せになれる。
良いお年を。
こんにちは。
1日の1/4は寝ているほど睡眠と布団が好きな大人・渡辺です(←割と普通の睡眠時間)。
今回はなんと、長年ぼくも苦しんでいた
布団に関するストレスを解消する方法
を発見しました!
みなさんは布団(特に冬物)の洗濯ってどうしていますか?
秋・冬の間、6ヶ月近くしっかりと寝汗を吸い込んだ布団や毛布。
暖かくなってもう使わなくなったら、押入れにしまう前に洗濯しますよね?
だけど、
布団や毛布は大きくて重いから自宅ではなかなか洗濯できない。。
クリーニングに出すにしても、持っていくだけで一苦労。
押入れにしまうのも布団は大きいからスペースを圧迫する。。。
という問題があります。
ぼくもこれらのことに長年ストレスを感じてました。
だけどある日、これを解決する素晴らしいサービスを見つけたんです。
それがせんたく便のふとんパックというサービス。
このサービスを知らなかったら、これから先も毎年、春が来るたびに布団のことでイライラしないといけないところだった。
というか、できるならもっと早くこのサービスについて知りたかった……!
というわけで、この記事ではせんたく便のふとんパックについて、実際に使ってみた感想を書こうと思います。
口コミや評判を気にしている方の参考になれば!
*2018/12/30追記。最近は布団のクリーニングもできるこちらのサービスをよく使ってます。
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サマリーポケットにモノ預けたら毎日がストレスフリーになって節約にもなった
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昨日、
「結婚は絶対しないといけないものだと思ってたけど、結婚しなくても幸せに生きていけるということがわかって、人生がすごく楽になった」
という記事を書いた。
▶「結婚は人生の必需品ではなく贅沢品」だと知ったとき、生きるのが死ぬほど楽になった︎
つまりこれは、「結婚しないといけない」という社会からのプレッシャーから解放されるための記事である。
一方で、
「いや、社会のプレッシャーとか関係なく、結婚がしたくてたまらない。結婚しないと生きていけない。結婚したいしたいしたい」
という人もいる。
しかし、そういう人に限って、結婚に失敗し、ストレスフルな生活を送ることになりがちだ。
結婚に失敗する人は、結婚に必要な次の2つの条件を満たしていない。
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結婚はするのが当たり前だと思っていた。
できるかどうか別として、それを目指すのが当たり前だと思っていた。
物心ついたときから、社会にそんな空気が漂っているのを何となく感じとっていた。
しかし、「ゼッタイ結婚しなきゃいけない」と思って生きていくと、それが人生の縛りになって、ときに大きなストレスを生み出すことがある。
結婚がしたくても出来なくて悩み苦しんだり、
結婚後に必要になる大きな出費や時間的コストのことを考えて、人生の選択肢が大きく狭めてしまったり。
また、「結婚するのが当たり前」という空気に従って、結婚のデメリットを考えずに家庭を作ってしまう人もいる。そしてそれが、後々の大きなトラブルの種になってしまう。
ぼくもそういう人間の1人だった。
当時、会社が嫌で嫌で吐くほど辞めたかった。
でも、結婚したり、子供は欲しいと思っていた。
生きていく上で、「結婚」は必要なものだと思っていた。
だけどそうなると、結婚や出産に必要な大きなお金を用意するために会社を辞められない。
仕事の苦痛をとるか、結婚ぜずに一生孤独で惨めな人生を送るか、という悩みの中でもがき苦しんでいた。
だけど、結局ぼくは会社を辞めた。
それは、「結婚は人生の必需品ではなく贅沢品である。だから、それをしなくても何の不都合もなく生きていけるし、余裕があればすればいい。」
ということに気付いたからだ。
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会社員だった頃のぼくは、仕事をやめたくて仕方なかった。
サラリーマンというものをやめたくて仕方なかった。
なんなら、就活しているときも「就職したくねえ」「サラリーマンになりたくない」と割と、けっこう、かなり、四六時中思っていた。
だけど、会社員をやらずに生きていけるのは一握りの選ばれし人間だ。
ぼくらのような凡人は社畜として生きていくしかない。
どうしても辞めたければ、築43年のオンボロアパートに住むかホームレスになるしかない。
そうやって、極貧生活を送らざるをえない。
そう思っていた。
だけどぼくは会社を辞めた。
辞めることができた。
そして、辞めた今でも、会社員時代とほとんど変わらない生活水準で生きている。
凡人は会社員を辞められないというのは世界の嘘だった。
捨てるべきものを捨てれば凡人でも会社を辞められる。
その捨てるべきものとは何か?
1言でいえば、それは古い常識や思い込みだ。
ではその古い常識とは何なのか?
この記事では、会社員を辞めるために捨てるべき不要品について詳しく書いていく。
この記事をすべて読み終えたとき、あなたの意識はこれまでとは全く違うものになっているだろう。
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