ノンストレス渡辺の研究日誌

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アラサーだけどストレスで会社を辞めて、フリーランスになりました

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会社辞めた

先日、会社を辞めた。

大学院を出て、新卒で入った製薬会社の研究職。

4年弱勤めたのでぼくは今年で29歳になる。

 

辞めた理由を一言で表すならストレスだ。

それによりぼくは逆流性食道炎を発症し、体重は15キロ減った。

会社が嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌でしょうがなかった。

 

  • なぜ会社を辞めたのか?
  • これからどうするのか?

その2点について書こうと思います。

 

 

ストレスで体重が激減、逆流性食道炎を発症

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▲会社で年1回受ける健康診断の結果表。入社直後は69.9キロだった体重が57.5キロに(身長175センチ)。この後55キロぐらいまで落ちた。

 

ストレスの原因は色々あった。

 

会社の人たちと考え方や興味関心があわなくて居心地が悪かった事とか。

自分だけが特殊な部署に配属されて不遇な扱いを受けていた事とか。

研究職なのに研究とは程遠い単純作業ばかりやらされていた事とか。

厄介者扱いされている先輩社員の尻拭いをさせられていた事とか。

 

でも、何よりも自分に大きな苦痛を与えていたのは「会社というシステム」だったと思う。

組織では、どんなに苦手な人や嫌いな人とも、仕事とあらば付き合わなければならない。

自分の嫌いな仕事も、会社のために必要とあらばやらなきゃいけない。

前述したような不満も、会社の方針と言われれば受け入れなければならない。

 

会社では個人の都合を優先するにも限界があって、その限界からはみ出せば「組織にとっていらない人間」とみなされる。

会社員なら当たり前のこと。

だけど、それらのことがぼくには嫌で嫌でたまらなかった。

 

それに耐えるのも社会人なら当たり前のことなのか?と思った時期もあった。

しかし、身体はそれを許してくれなかった

 

1年で10キロ近くやせ細り、それでも体重の減少は止まらなかった。

2年目には機能性ディスペプシアという消化器疾患に罹患し、満足に食事がとれなくなった。

3年目には逆流性食道炎を発症し、逆流する胃酸で食道と喉が焼け付いた。

 

仕事中も胃の不快感を感じる。喉と胸元にヒリヒリとした痛みを感じる。

食事は2~3口も口にすると、胃に膨満感を覚え苦しくなり、それ以上の食が進まない。

食事なしで仕事をしようとしても、栄養が足りなくて頭がフラフラする。身体はどんどん痩せ細っていく。

 

 

苦痛が病を呼び、病がさらなる苦痛を呼んだ。

 

ぼくの身体はもう限界だった。

 

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▲入社直前(左)と3年後(右)の写真。骨格変わった?というレベルで頬がこけている。死期を悟ったおじいちゃんが「ワシはもう充分生きた」と呟くときのような、穏やかな笑みも印象的。生の苦しみに耐えながらも、自分の命を限界まですり減らした者だけが浮かべられる表情だ

 

「会社」ではなく「会社員」をやめるしかないと思った

さすがにヤバい。

このまま体重が減り続ければ、あと数年で質量がゼロになる。

そう思ったぼくは、異動の希望を出したり転職活動を始めたりもした。

 

ただ、その過程で

そもそも会社というシステム自体が自分にあっていないのでは?

そうだとしたら、異動や転職したところで問題は解決しないのでは?

と考えるようになった。

 

会社で働いてみてわかったことがある。

あまり、自分のことをこう言いたくはないが、ぼくは社会不適合者と呼ばれる類の人間だということだ。

いや、会社に入る前からうすうすは気付いていた。30年近くも生きていればさすがにそれぐらいはわかる。

 

これは言い換えると、「環境適応力」がおそろしく低いということだ。

具体的には、「関わりたくない人と話すのが死ぬほど苦痛」で、「したくない仕事をするのが死ぬほど苦痛」ということだ。

「自分が普通に働ける環境」の条件がすごく限られている。許容範囲が極端に狭い。

現に、環境に適応できず胃酸が逆流している。

 

だから、異動や転職で運良く快適な職場環境を手に入れられたとしても、人事のさじ加減1つでいつでも地獄に叩き落されるということだ。

会社員でい続ける限りそのことからは逃れられない。

 

自分が毎日を過ごす環境の選択権を、他人に委ねるのはもう嫌だった。

 

じゃあどうするか?

環境適応力が低いからこそ、自分で環境をコントロールできる側に回るしかない

そうするためには、会社に頼らず自分だけで生計をたてる必要があった。

 

こうしてぼくは、会社員以外の働き方で生きていく方法を探し始めた。

 

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「会社がツラすぎて会社が辞められない」という負のスパイラルを抜け出す

会社を辞めたい

それからというもの、会社で働く以外の時間をすべて「会社を辞めるための活動」に注ぎ込んだ。

だけど、はじめは毎日の仕事が辛すぎて、帰宅後は疲労で身体が動かず、頭も全く働かなかった。

ストレスは実際の仕事量以上の「疲労感」を感じさせる。人を無気力なボロ雑巾にする。

 

どうにかしないといけない。

いろいろなことを試した。

ある時、ストレスを解消させ、頭を再起動するために帰宅後にランニングを取り入れた。

これは効果的面だった。

頭がスッキリとしてその後の作業に集中できたし、次の日の調子も良かった。

 

煩わしい家事など、日常に潜んでいる小さなストレスも、効率化などの方法で徹底的に潰していった。

1つずつストレスを消していくのは気持ちよかった。

 

身の回りのコトのような、「すぐに消せるストレス源」は徹底的に消す。

会社のコトのように、「すぐに消せないストレス源」はうまくストレス解消を取り入れることで、やりくりする。

こうしてぼくは、ストレスをコントロールしていった。

それによりぼくは、ストレスによる無気力状態を振り払い、「会社を辞めるための活動」に力を入れられるようになった。

 

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「会社を辞めるための活動」の内容

活動

会社を辞めるためには、会社に頼らず生計を立てていかなければならない。

 

しかし、いざ独立を目指そうと考えると、バイオ研究者という職業の汎用性の低さに絶望した

ITの知識があるわけでもないし、デザインができるわけでもないし、絵が描けるわけでもない。

超高額な実験機器や研究資材がないと、ろくに専門性が発揮できない。つまり、多額の研究費が捻出できる組織に属していないと何もできないということだ。

ぼくのような人間が組織から独立するのにこれほど向いていない職はない

 

しかし、それでもやるしかなかった。

色々なことにチャレンジした。

小説を書いて、投稿サイトにアップしていたこともあった。

プログラミングスクールでプログラミングを学んだりもした。

クラウドソーシングでライティングもした。

ブログも書き始めた。

 

これまでやってきたことと全く違う分野での独立。

それを目指していると言うと、周囲からはこう言われた。

必死に勉強して旧帝大に入って、大学院まで行ってその専門性を活かして就職して、しかももう30歳間近なのに、それを全部捨てるなんて狂気の沙汰

と。

 

確かに、ここまでくるのに莫大なコストと時間をかけた。

だけど、その結果この生き方は自分には合っていないとわかった。

だから、これからの人生のためにこれまでのキャリアを損切りする

それだけのコトだった。

 

最初は全く成果が出なかった。

生計を立てられるような見通しは全く立てられない。

早く会社を辞めたい。でもその兆しが全く見えない。先のことを考えると絶望感に襲われた。

その気持ちを振り払うように、ジムで走り、肉体を酷使した。

不安な気持ちも汗とともに水で流せば、まだ戦えるという気持ちを取り戻せた。

ネガティブな感情と一緒に、部屋のスペースを圧迫する本や服、雑貨などのモノを捨てた。

モノの散乱する部屋は、心をイラつかせ、不安定にし、ざわつかせる。

整然とした部屋は僕の気持ちを落ち着かせてくれた。

 

ライティングやブログで少しずつお金が入るようになってきた。

記事の寄稿の依頼もきた。

文章を書くのは昔から好きだった。この仕事は向いていると思った。

でもまだ生活できるにはほど遠い。

 

会社が終わって夜遅くまでPCで作業していたら、「ブルーライト」と「作業による脳の興奮」で夜眠れなくなってしまった。

食事に続く、睡眠の支障。

どこまでポンコツなんだと自分の身体にイラついた。

病院へ行った。

医者からは、「夜はPCを見たり、仕事をするのは控えて、リラックスする時間を取るように」と言われた。

でも作業をする時間は夜しかない。

今それをやめるわけにはいかない。

処方された鎮静剤を飲んで無理やり脳を眠らせていた。

 

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▲当時飲んでいた薬・メイラックス

 

そして、「会社を辞めるための活動」を始めて2年、逆流性食道炎を発症して1年がたった頃。

ぼくはどうにか生活できるぐらいの収入を得られるようになっていた。

 

「会社を辞める」

その選択肢がついに現実味を帯びてきた。

喉から手が出るほど欲しかった、待ちに待った瞬間。

だけど、そのときぼくの心情は全く予想していなかったものだった。

 

本当に会社を辞めていいのか?

 

会社を辞めるというゴールが目前に迫った途端、

ぼくは会社を辞めるのが怖くなった。

 

会社員を辞めるべき人と、辞めるべきでない人

「いまは生活できるぐらい自分で稼げてるけど、それが一生続く保証はあるのか?」

「ほとんど人脈もツテもないのに、この先稼ぎ続けることができるのか?」

「会社という組織の後ろ盾がなくても本当にやっていけるのか?」

「すべてが自分の責任になる世界でやっていけるのか?」

 

そう考えると、背筋が寒くなった。

そんなことは承知で「会社を辞めるための活動」をしているつもりだった。

しかし、それを始めた頃と今では、これらの不安のリアリティーが違う。

 

怖い。

敷かれたレールの上を外れるのは、はっきり言って怖い。

 

ぼくは悩んだ。

悩んで悩んで悩んで悩んで、考えて考えて考えて考え抜いた。

 

そして答えを出した。

そのきっかけをくれたのもまた「ストレス」という言葉だった。

 

そんなに悩むことでもなかった。

この究極の2択に思えた問いも、答えを出す方法はとてもシンプルだったから。

 

「会社員でい続けるストレス」「フリーランスで生きていくストレス」

その2つを天秤にかけてやる。

その秤がどちらに傾くかで、自分の道を決めてやればいい。

ただそれだけのこと。

 

答えはとっくに出ていた。

ストレスとは本来、生物が自分の命を脅かす危険に出くわしたとき、我が身をその危険から遠ざけるために嫌悪感を生み出す反応。

つまりは防衛本能だ。

 

そのストレスが、ぼくにこう言った。

いや、ずっと前から言い続けてくれていた。

あそこに近づいてはならない」と。

胃液を逆流させてまで、伝えようとしてくれてた。

ぼくはずっとその警告を無視していた。

でも、やっとその声に耳を傾けることができた。

 

 

 

こうしてぼくは、会社員を辞めた。

 

そして、フリーランスになった。

 

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これからは「人生からあらゆるストレスを捨てる方法」を発信していきます

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みんなが自分に合った生き方をすればいいと思う。

数ある選択肢の中で、会社員が最もストレスが少ないと思えば会社員として生きればいい。

 

ぼくは、「フリーランスのリスクを考慮しても会社員でいることのストレスの方が大きい」と思ったからフリーランスになった。

たぶん、社会不適合者だからそう感じたのだろう。

「そんなに社会不適合者でもないな」という人は、今の職場が嫌でも異動や転職で充分対応できるケースも多いだろう。

 

ストレスをコンパスにすれば、おのずと自分に合った生き方が見えてくるということだ。

 

 

 

というわけでぼくは会社員をやめました。

今後はこのブログで、フリーランス社会不適合者である僕の人生を綴っていきます。

特にスキルもツテもなくフリーになったアラサーが今後どうなっていくのか。

こんなヤツでも自分らしく生きていけるということを証明していきます。

 

それに加えて、このブログでは「人生からあらゆるストレスを捨てる」というテーマで記事を書いていこうと思います。

もちろんストレスを完全にゼロにすることはできないでしょう。

でも、排除できるストレスは排除して、そうでないものもうまくコントロールすることで、人生は確実によくなります。

 

会社員でも主婦でもフリーランスでも、もっと自分の生きやすい方法があるということを伝えていきたい。

ストレスをコンパスにすれば人生はもっとよくなる。

誰かに決められた人生ではなく、自分だけに最適化した、自分だけのオーダーメイドな人生を手に入れることができます。

 

そのための具体的な方法や考え方を、どんどん書いていこうと思います。

このブログをその情報発信の場にします。

今までの人生で、ストレスにとことん向かい合ってきたぼくだからこそ書ける記事

以前のぼくのように苦しんでいる人を少しでも減らせるように。

少しでも多くの人が、少しでも早く、もっと楽に、そして楽しく生きられるように。

 

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▲最近のワタナベの様子。だいぶ健康になってきた。そのポーズからも、最近は休日にマンガ『幽遊白書』を読む余裕が生まれたことがうかがえる

 

実は、大学ではストレス生理学の研究をしていたこともありました。

そして、会社員時代にはそのストレスに殺されかけました。

でも最終的には、そのストレスによって自分の進むべき道を見つけました。

そんなぼくだからこそ、伝えられることがあると信じています。

 

大学時代の写真
▲大学時代の写真。研究者を目指し、実験に明け暮れていた

 

すでに書いたように、ぼくの前職は研究者です。

専門はライフ・サイエンス。

日本語で言うと「生命科学」です。

もともと実験が好きで選んだ職業でした。

辞めてしまって名残惜しさがないといえば嘘になります。

大学から何年間もやってきたことですから。

 

そういえば、「ライフ」という英語には別の意味もあります。

「人生」という意味です。 

 

 

  

ということで、これからは。

 

 

「人生」をより良くするために日々実験を重ねていく。

そういう「ライフ・サイエンス」を続けていこうと思います。

EY9A0176_original のコピー
▲2017年12月某日、自宅から徒歩120秒の海岸にて。ノンストレスな人生を探求するライフ・サイエンティストとして第2の人生を歩んでいきます

 

 

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