ノンストレス渡辺の研究日誌

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ナンパって何がいけないの?名著『幸せになる勇気』は運命の人を否定する

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アドラー心理学について書かれ、ベストセラーとなった『嫌われる勇気』

その続編で、アドラーの教えの実践編である『幸せになる勇気』

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

その幸せになる勇気を読んでいてぼくは、日本にはびこる「男女の出会い」の価値観はなんかイビツだなあ、と思いを馳せずにはいられませんでした。

 

運命の人はいるのか?

この本は、アドラー心理学の識者である哲人(哲学者)とどっかから哲人の家にやってきた青年の対話によって綴られています。

 

テーマはもちろん「幸せ」について。

青年はどうやら幸せを感じることができていないようです。

議論は人に愛されることではなく、人を愛することが「わたしの幸せ」に繋がるという話になります。

 

 

そこで、青年は訴えます。

私にも人を愛したいという気持ちはある。しこたまある。

だけど、愛したいと思える人がいねーんです。出会いがないから、恋が走り出さないんです。運命の人に出会えてないんです。

 

すると哲人はこう答えます。

 

哲人 なるほど。それではまず、アドラーの基本的な立場をお答えしましょう。恋愛にしろ、人生全般にしろ、アドラーは「運命の人」をいっさい認めません。 
青年 われわれに「運命の人」はいない!?
哲人 いません。 
青年 ……ちょっと、それはさすがに聞き捨てならない話ですよ! 

 

哲人の大胆な発言に思わず声を荒げる青年。哲人は続けます。

 

哲人 なぜ、多くの人は恋愛に「運命の人」を求めるのか? どうして結婚相手にロマンティックな幻想を抱くのか? その理由についてアドラーは、「すべての候補者を排除するため」だと断じます。 
青年 候補者を排除する?

 

哲人 あなたのように「出会いがない」と嘆く人も、じつは毎日のように誰かと出会っているのです。よほど特別な事情がない限り、この1年のあいだ誰とも出会わなかったという人はいません。……あなたもたくさんの人と出会っていますね? 
青年 同じ場に居合わせる、という程度も含むのでしたら。 
哲人 しかし、そのささやかな「出会い」を、なにかしらの「関係」に発展させるには、一定の勇気が必要です。声をかけたり、手紙を送ったり。 
青年 ええ、そうですとも。一定の勇気どころか、最大限の勇気が必要です。 
哲人 そこで「関係」に踏み出す勇気をくじかれた人は、どうするか? 「運命の人」という幻想にすがりつくのです。……いまのあなたがそうであるように。 目の前に愛すべき他者がいるのに、あれこれ理由を並べて「この人ではない」と退け、「もっと理想的な、もっと完璧な、もっと運命的な相手がいるはずだ」と目を伏せる。それ以上の関係に踏み込もうとせず、ありとあらゆる候補者を、自らの手で排除する。 
青年 ……い、いや。 
哲人 こうして過大な、ありもしない理想を持ち出すことによって、生きた人間と関わり合いになることを回避する。それが「出会いがない」と嘆く人の正体だと考えてください。 
青年 わたしは「関係」から逃げている……? 
哲人 そして可能性のなかに生きているのです。幸せは、向こうから訪れるものだと思っているのです。「いまはまだ幸せが訪れていないが、運命の人に出会いさえすれば、すべてがうまくいくはずだ」と。 
青年 ……忌々しい! ああ、なんと忌々しい洞察だ! 
哲人 たしかに、聞いていて気持ちのよくなる話ではないでしょう。しかし、「運命の人」を求める「目的」を考えると、おのずと議論はそこに落ち着きます。

 

本作でも哲人は青年を完膚なきまでに論破していますね。哲人の主張はもっともです。

 

ナンパは正義?

それと同時に、ぼくには1つの考えが浮かび上がってきました。

この日本では一般的に「出会い系サイト」を利用することや「ナンパ」をすることは、軽蔑の眼差しで見られてしまいます。

でも、果たしてそれらは蔑まれなければいけないことなのか?と。

 

むしろ学校や職場などの自分の環境から与えられる受動的な出会いに依存することなく、能動的に出会いを作り出そうとする勇気ある姿勢ととれます。

 

それなのに、学校や職場など何かキッカケがある出会いは真っ当な出会いで、自分からレールの外に一歩踏み出して得た出会いはいかがわしい出会いと見られるのは、なんともおかしな話です。

 

その証拠に、新郎新婦に馴れ初めを聞くとき、学校や職場の出会いなら堂々と答えられるけど、出会いが合コンだとうしろめたさを感じている人が多いです。

 

自分から一歩踏み出す勇気を押さえつけるような、よろしくない空気が社会に蔓延していますね。

だいたい、自分の身の回りの限られた出会いでパートナーを選べといわれてもそりゃあ見つけられない人が出てくるのも無理のない話で、せっかくインターネットという素晴らしいインフラがあるんだから、それをもっと積極的に使って自分とマッチする異性を探す仕組みと、そういう空気があっていいでしょう。

そしたら未婚率・少子化も少しは改善するでしょうし。

ていうか、ナンパにしろ出会い系サイトにしろ、出会いの幅を広げた方が自分とより相性の良い人が見つかる確率は上がるだろうし。

運命という言葉を、幸せを与えてもらうための言い訳に使うんではなく、運命は自分で切り開いていかなきゃ。

 

 

そんな日本を救うために、次に必要な本は、

「ナンパする勇気」

という本かもしれません。

誰か書いて下さい笑

 

「相席屋に行く勇気」でもいいかもしれません。

 

この『アドラーの勇気シリーズ』に出てくる哲人の言葉には毎回ハッとさせられます。

なぜ、「人から愛されること」ではなく、「人を愛することが」が幸せに繋がっていくのか?

ざっくり言えば、受け身の姿勢でいるだけでは、自分の力で幸せを掴むことはできないということです。

その詳細が気になる方、どうすれば人を愛せるようになれるのかに興味がある方は是非、著書『幸せになる勇気』を手にとってみて下さい。本書では、「愛とは技術」とまで言っています。なんか本当にナンパの本と間違われそうですが、そういう本ではありません。

そして、こうも言っています。「愛すること」は「愛されること」より、何倍も難しい、とも。

 

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