初めまして。
ノンストレス渡辺(@season_of_nabe)と申します。
2017年に、新卒(修士卒)で入って4年弱勤めていた製薬会社の研究職を辞めて、フリーランスになりました。
フリーランスとしての仕事内容
作家としての活動が主な仕事です。
特に、「人生からあらゆるストレスを失くす」というテーマで記事を書いています。
仕事、健康、生活、お金、人間関係などストレスにも色々あります。
誰もが、人生からそういったストレスを捨てるためにはどうすればいいのか?
そういう情報を、ブログで発信したり、外部のメディアに記事を寄稿したりして生計を立てています。
元科学者らしくエビデンス(きちんとした根拠)にもとづいた情報を売りにしています。
また、「今日から使える」「誰でも使える」という実用的な情報であることも重視しています!
例えば、こんな記事です。
▶人生からストレスを一掃するために必要な考え方【ストレスコーピング】︎
▶ストレス発散法を100個公開 & あなたもリストアップするべき理由︎
Twitterでも「これは役に立つな」と思った情報や、ブログの更新情報をお知らせしています!
このブログを書く理由とぼくの経歴
今これを読んでいる方の中にも、色んなストレスを抱えて生きている人がいるんではないでしょうか?
それは、小さなものから、大きなものまで。
「会社 、学校に行きたくない」
「やらなきゃいけないけど、家事をする気が起きない」
「もうあの人の顔を見たくない。人間関係がめんどう、ツライ」
「自分なんて生きている価値がない、死にたい」
そんな人たちにこそ、ぼくはこのブログを読んで欲しい。
それは、かつてのぼくがストレスにまみれた人生を送ってきたから。
一時は食事も満足にできないほど苦しみ、心と身体がおかしくなりました。
しかし、今では多くのストレスを捨てることができ、以前とは比べものにならないほど活き活きと過ごしています。(詳しくは後述しています)
そんな経験からぼくは、
「心の中に巣食うストレスを取り除き、その空いた余白に楽しいことを敷きつめる」
そういう人生を送る人が増えて欲しいと思い、そのための情報発信をすることにしました。
ここからは、そんなぼくの半生を振り返り、「人生のあらゆるストレスを消し去りたい」と思うに至った経緯を書いていこうと思います。
真面目こそ善。我慢も美徳。そう思っていた
小学生のときは活発な子供でした。
誰とでもよく話すし、休み時間はずっとサッカーしているような子供。
でも、年を重ねるごとに人の目を気にする性格になっていきました。
その後、社会人に至るまで人見知りがどんどん悪化することになります。
一方で、とても真面目な性格でもありました。
先生の言うことは聞くべきで、学校の勉強・部活は一生懸命やるべきで、一度始めたことは最後までやり通すべき。
少なくとも高校までは卒業し、でもできれば大学まで行って、ちゃんとした会社に就職することが正しい道。
だから学校の勉強をちゃんとすること。
大人たちがそう言うので、それが正しいと思ってました。
だから勉強も、受験以外の何の役に立つのかわからなくてただただ苦痛だったけど真面目にやって、小学校でも中学校でも学年で上位の成績をキープ。
スポーツも毎日真面目に打ち込んで、小学生のときは相撲で全国大会出場。
中学のときやっていた陸上は異常なぐらい打ち込んでいて(毎日の練習はもちろん、専門書やスポーツ生理学の本、栄養学の本にまで手を出していた)、結果、400Mで全国5位に入賞。
そしてオマケに、色々あって中学では生徒会長まで務めることに。
ここまでは順風満帆に見えたぼくの人生。
しかしそれも、高校入学によって一気に崖の上から突き落とされることになります。
「真面目」に殺されかけた高校時代
高校は陸上の強い進学校に入学しました。
良い成績が出せてすっかり陸上にハマっていたので、もちろん高校でも陸上を続けました。
高校ではあまり気の合う人がいなくて、さらにすっかり人見知りにもなっていた僕。
教室生活はあまり楽しくなく、陸上だけが生き甲斐になっていました。
楽しくない学校生活も、陸上によってなんとか支えられている、という感じ。
高1の夏にはインターハイに出場できました。
顧問の先生の車で、高速にのって福岡から島根まで行ったなあ。
しかし。
しかし、その冬に脚に大きなケガを負ってしまいました。
そこからが地獄の始まりでした。
1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月と経っても一向に治らない。
病院に何回行っても治らない。
民間の治療院に行ってみても治らない。
高額の治療費を嫌な顔1つせず出してくれる母。
そのお金を申し訳ない想いで受け取る僕。
でも、治らない脚の怪我。
その間、部活の時間は、走れないのでずっと筋トレをしていました。
ただでさえ練習できない状況で、少しでも何かプラスになることがしたかったから。
誰もいない、薄暗い真冬のトレーニング室で、1人筋トレをしていました。
筋トレが終わったら、グラウンドの脇で他の部員が走っているのを見たり、ストレッチをしたり。
特にすることはなかったけど、自分だけ早く帰るのが後ろめたくてずっと残ってました。
でも、何もできない状況で、他の人が走っているのを見るのはすごく辛かった。
それが何ヶ月も続くと本当に耐えられなくて、トレーニング室の冷たい床の上で泣いてました。
結局、高2の大会にはまるまる出られなかった。
「やめたい」と思った。
でも、やめられなかった。
途中でやめるのははいけないことだから。
最後まで諦めちゃいけないから。
小さい頃からそう言われてきた。
それが正しいと言われ続けてきた。
でも、誰に言われたんだっけ?
誰かはわからない。
誰ともなく言っていた。
みんなが言っていた。
大人が、先生が、TVが。あの有名人も、あの偉人も。
ぼくは途中でやめた根性なしだと思われるのがとても嫌だった。
学校生活の「支え」であった陸上が、苦痛に変わってしまい、
ぼくはいつしか「死にたい」とつぶやくようになっていました。
「やめたい」という言葉を飲み込んだ結果出てきたのが、「死にたい」という言葉だなんて。
いま思うとひどく馬鹿げた話だ。
結局ぼくは何1つ成し遂げるなく、3年の夏に引退しました。
放課後の膨大な時間を苦痛を生み出すことだけに費やしました。
そこに何かを貫きとおした達成感など1つもなかった。
ただただ時間をドブに捨てた事実だけが残った。
それともう1つ。
引退した次の日、ぼくの身体にある変化が起こりました。
登校時に下車するいつもの駅。
改札に続く登り階段、つまり、学校へと続く階段はいつも足が重くて重くてしょうがないと感じていました。
でもその日は、その足がすごく軽かったんです。
それはもうびっくりするほどに。
こんなに楽になれるんだったらもっと早く…
ぼくはそう思わずにはいられませんでした。
結局、人の目とか、「諦めるのはいけないこと」という空気を振り払えなくて、「やめる」という決断ができずにダラダラと続けることを選んだ思考停止野郎でしかなかった。
後から振り返ってそう思いました。
そして、これが「途中でやめることって本当にいけないことなの?」と強く思うようになったきっかけでした。
「真面目」という言葉が侮蔑の言葉だと知った大学時代
陸上はダメだった。
でも、それで人生が終わったわけじゃない。
大学受験が控えている。
陸上で失敗した分、この大学受験だけは絶対に成功させる。
そう思ったぼくは、引退後には受験勉強にのめり込みました。
朝から晩まで、休日・正月返上で、勉強、勉強、勉強。
これまで部活の時間に受けた苦痛に比べたら、受験勉強のキツさなんて屁のようなものだった。
練習できない苦しみ、努力できないツラさに比べたら、いくらでも努力(勉強)できる大学受験という戦争は、僕にとってはヌルいゲームにさえ感じられた。
そしてぼくは、九州の旧帝大である、九州大学に合格しました。
合格発表の日には、数年ぶりに達成感を味わうことができました。嬉しかった。
学部は「食」や「栄養」に興味があったので、農学部。
しかし、そこで完全に燃え尽きてしまった。
陸上で死にかけていた心にムチ打って働かせたツケが回ってきたのかもしれません。
何かをする意欲が全く湧かず、ただただ漫然と生きる日々。
初めての1人暮らしの部屋も、それはもうひどく散らかっていきました。
気力を失っていたぼくですが、大学の講義や試験だけは真面目に取り組んでいました。
キツいけどここだけは真面目にやっておかないと、就職活動に響くだろうと思っていたから。
何もする気は起きないけど、気力を振り絞って、講義への出席と試験だけは真面目に取り組んで、好成績をキープしました。
でも、結果として、そんなことは就職とは全く関係なかった。
むしろ、講義なんて全然聞かず評定は散々でも、腹一杯遊んだり、自分のやりたいことにどっぷり打ち込んでいるヤツの方が、就職活動はうまくいっていた。
そういう学生の方が、書類や面接で有利だからです。
じゃあ、大学の講義ってなんなんだ?
遊んでいるヤツらを尻目にぼくが試験に費やした時間って何だ?
ぼくらが小学生からやってきた勉強って何なの?
何で学校教育はこんな意味のわからない仕組みになってるの?
その時、ぼくは「真面目」という言葉の本当の意味を知りました。
詳細についてはこちらの記事に書きました。
関連記事
「真面目さ」なんて社会で1ミリも役に立たないと早く気付くべきだった
この経験が、ぼくがいま「脱・真面目」を訴えるきっかけとなりました。
轢かれたレールに乗っかてたら本当に死にかけた会社員時代
大学院修了後、24歳で製薬会社に入社。
就職活動は苦戦したものの、どうにかこうにか、そこそこ志望度の高かった会社に入れて、心機一転頑張ろうとやる気に満ちていました。
会社では、自分の頭で考えて頑張ろうと。
ところが、またしても数々に苦難が待ち受けていました。
詳細はまた別の記事で書きます。
簡潔に言うと、「人間関係」と「仕事内容」。
これらのことがぼくの中で相当なストレスになっていきました。
その結果、入社から1年で10キロ、入社3年目には15キロと体重が激減。
胃の調子が悪くて、食事が喉を通らなかったからです。
そして遂には、逆流性食道炎になってしまいました。
そんな状態で、会社に行くのは本当に辛かったです。
ご飯は食べられないし、胃液で喉はヒリヒリするし、会社に行けばストレスフルな職場。
家に帰っても何もする気が起きない。部屋の中は荒れ放題。
ていうかこのまま食事できなかったら、本当に死ぬんじゃないの?
もう、心身ともに限界でした。
しかし、1つの転機が訪れます。
それは偶然にもストレスコーピングという考え方に出会ったことがキッカケです。
詳細は以下の記事に書いていますが、
簡単に言うと、大きなストレスの源を断つためには、受けたストレスは溜まっていく前に気晴らしで発散させながら、そのストレス源を取り除く働きかけをすることで、根本的な解決を図るということです。
関連記事
人生からストレスを一掃するためのテクニック(ストレスコーピング)
確かにぼくは今、胃液が逆流するほどストレスが溜まっている。
そこで、まずは溜まるに溜まったこのストレスを発散させようと思いました。
何がいいだろう?
んー。
そうだ、旅行に行こう。
それまでは準備をするのが億劫で旅行なんて全く行く気になれなれませんでした。
しかし、何もやる気がないから何もしないというのはそれはそれでストレスになる。
やはり積極的にストレス解消をする必要があると思って、Zソードより重い腰をあげて準備をしました。
そして、いざ旅行に出発。
その結果何が起きたか?
何と、あれだけ何も食べられなかったのが嘘のように、旅先ではパクパクと食がすすんだんです。
美味しいものを普通の人と同じように食べられたのはいつぶりだろう。
それが嬉しくて、少し涙ぐんでしまいました。
食事程度で泣くなんて大げさと思われるかもしれませんが、食事が普通にできないというのはそれぐらい辛いものなんです。
やっぱり僕を苦しめていたのは、あの環境、ストレスなんだ。
もちろん、わかってはいたんですが、それを改めて身体で実感しました。
それと、ストレスがこれほどまで身体を蝕むものなんだということも。
もう2度と満足に食事できないんじゃないかとも思っていたので、ストレスさえ断ち切ればまだ身体は戻るとわかって嬉しかった。
でも、この先もストレスを受け続けていれば、いつ取り返しがつかなくなってもおかしくない。
旅行から帰ると、早速ぼくは自分の人生からストレスを一掃するために動き始めました。
(会社が始まると、旅先での食欲が嘘のように、また食事できなくなったのには驚きました。身体ってホント正直だ)
買い物、掃除、洗濯、食事など、まずは生活の中で生じる小さいストレスから取り除いていきました。
具体的な方法はまた別の記事に書きますが、
そんな感じで、日常のストレスを1つずつ取り除いていくことで、ぼくの生活は徐々に改善されていきました。
それによって、本丸に斬りこもうという気力、心の余裕も生まれてきました。
つまり、今の労働環境をどうにかするということです。
まず考えたのは、部署を異動させてもらうことでしたが、それはすぐにやめました。
いまの会社の雰囲気自体しっくりきていなかったし、そうであれば異動してもまた同じような環境になる可能性がある。
高校時代の陸上の経験を経たぼくに、
「会社を辞めることはいけないこと」
「もう少し続けていれば見えてくるものがある」
などという考えはもうありませんでした。
そして、そう思ってた矢先、会社がとんでもない不祥事を起こしていることが発覚しました。
これによって、僕は完全に転職することを決意しました。
転職を成功させるために、いろいろと行動しました。
しかし、転職活動をする上でぼくの中である考えが浮かんできました。
「別の会社に入っても、またやりたくない仕事をさせられるかもしれない」
さらに、
「もしかすると僕は、会社という組織形態自体が合っていないかもしれない」
しかし、会社に入らないとなると、ある問題が浮上します。
それは「自力でお金を稼がないといけない」ということです。
この問題をクリアするのは、並大抵のことではない。
だけど、このままだといつまでもストレスフルな環境から抜け出せないかもしれない。
そこで、転職活動と並行して独立するためのチャレンジもやってみることにしました。
はじめは何をやればいいかわからず色んなことに手を出しました。
小説、クラウドソーシング、プログラミング、ブログ、ライター。
なかなか結果が出ずに、苦しい日々が続きました。
転職活動もやりながらで時間も限られている。
しかし、ある時からブログやライター業で徐々に手応えを感じ始めました。
これならいけるかもしれない。
手探りで独立への道を模索し始めて1年半が経ったころ。
ぼくはだんだんそう思うようになりました。
しかし、いざ現実的に独立を考え始めると、色々な感情が湧いてきます。
「本当に会社勤めを辞めて大丈夫なの?」
「これから40年間も、自力で稼いでいけるの?」
「大学院まで出たのに、その苦労を全部水の泡にするの?」
様々な不安が、ぼくの頭をガンガンと揺らしてきます。
怖い。
人生のレールを外れるのは、はっきり言って怖い。
でも、このままこの環境にいていいのか?
苦痛でしかないこの場所に居続けるのか?
会社員(転職)か、独立か。
ぼくは考えました。
ストレスを完全にゼロにすることはできない。
でも、減らすことはできる。
だから、自分にとってよりストレスが少ない道を選べばいい。
ぼくは、
「このまま会社という組織に居続けるストレス」
と、
「独立して会社という組織に頼れないストレス」
を天秤にかけました。
その結果、ぼくは独立という道を選びました。
決めては色々ありますが、大きく2つ。
まず、会社という組織の息苦しさ。
それは場所とか制度とか色々あるけど、
ぼくは自分が苦手な人、嫌いな人と接触しないといけないことが死ぬほど嫌だった。
「大人ならそのくらい我慢しないといけない」と言う人がいるかもしれないが、そんな意見は知ったこっちゃない。
あなたは我慢できるのかもしれないが、ぼくは我慢できない。
何が許容できて、何が許容できないのかは人それぞれだ。
牛乳が嫌いだけど我慢すれば飲める人と吐くほど嫌いな人、飲んだらアレルギーで失神する人など違いがあるのと同じ。
上のような意見を言う人は、ただそれを我慢できる人だというだけだ。
ぼくにとってそれは独立というリスクをとってでも回避したい超重要事項だ。
部署移動しようが、転職しようが会社に居続ける限りは、このリスクはつきまとう。
だから独立するしかないと思った。
2つ目は、やりたいことをやりたかったということ。
会社にいながら、自分のやりたいことをやるのは難しい。
もちろん、できている人もいるけど、それは環境だとか、タイミングだとか、運だとか、自分ではどうにもできない要素が多すぎる。
実力だけでどうにかできない部分も多いし、そもそも実力がなければ好きなことができないというのもおかしな話だ。
ていうか、その実力を上がちゃんと評価できているのか?という問題もある。
そして、やりたくない仕事ばかりが回ってくる。
これやる必要あるの?
これ俺がやらなくていいだろ。
そういう仕事をやるのは苦痛でしかなかった。
就職する前は学歴に見合った給料がもらえれば仕事の内容はなんでもいいと思ってた。
けど、働いてみたらそんなことなかった。
やりたくもない仕事を、会いたくもない人とやらされるのは辛すぎる。
仕事って、人生の大半の時間を捧げるものだ。
それを、そんな苦役に費やすなんて、そんなことがあっていいはずがない。
高校の頃まで信じていた「やめることは悪い事」という常識が嘘だったように、
大学の頃まで信じていた「真面目に生きていれば報われる」という常識が嘘だったように、
「轢かれたレールに上に乗っかっていた方が幸せになれる」というのは嘘なんだ。
それでも大丈夫な人、それでも幸せな人もいるんだろうが、俺は違う。
一部の人間にしか当てはまらない事を、万能の真理みたいに言うな。
同じ人間でも、1人1人違う人格を持っている。
靴をオーダーメイドするように、自分の人生の法則は自分専用のものを積み上げていくものだ。
他人が書いた人生の説明書が、自分にも使えるわけがない。
それは自分で書き上げていくしかないんだから。
こうしてぼくは仕事を辞めました。
そして、独立してフリーランスになりました。
関連記事▶アラサーだけどストレスで会社を辞めて、フリーランスになりました
ぼくがこの経験を通して学んだことをまとめるとすれば、
- 自分を出せない人ほど真面目という殻にこもろうとする。だが、それは損な役回りだからやめた方がいい
- 世の中が言う普通(会社勤めが普通、誰とでも仲良くしなくてはいけない、仕事は我慢するもの、など)が自分に当てはまるとは限らない。自分はオンリーワンな存在だから。幸せに生きるには、自分の人生は自分でデザインするしかない
- 人生を変えたいなら、小さなストレスを取り除くこと、小さな楽しいを見つけることから始める
これからの活動
ここまで語ったとおり、ぼくはストレスに殺されかけた男です。
でも、紆余曲折あって、どうにかそのストレスは倒したというか、逃げ切ったというか、とにかく目の前から消し去ることができました。
その経験もあって、ぼくは同じようにストレスに苦しむ人の力になりたい。
それは、生活のちょっとストレスも、人生を揺るがすような大きなストレスもです。
人生において捨てられるストレスは全て捨てて、そこに空いた心の余白に、楽しいことを敷き詰めていく。
それを実現するための情報発信をしていこうと思います。
と言っても、人生のストレスなんて挙げればキリがないほど存在します。
ぼく自身、会社というあれだけ大きなストレスを倒した今も、次から次へと新しいストレスが現れます。
一見、終わりがないように見えるこの戦い。
でも、ぼくは少しでも充実した人生を送るために、これからも自分の生き方・生活を改善していきます。
長い旅になりそうです。
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