ここ数週間、忙しくてまともに音楽を聴く時間がなかった。
今日は電車に乗ってる間、少しゆっくりできる時間があった。
イヤホンをして、iPhoneで音楽をかける。
ネットで見かけた女の子の写真が川島小鳥が撮った写真っぽくて、それで銀杏BOYZのジャケ写を思い出し、彼らの楽曲『夢で逢えたら』が聴きたくなった。
久しぶりに聴く音楽はすごく新鮮さがあって、チン中村のギターがいつもよりクリアに聴こえる。
その音色で自分の心もクリアになっていくのを感じた。
久しぶりに音楽を聴くときには、音楽の素晴らしさを再確認すると同時に、「音楽の無駄使い」はよくないよな、ということを思う。
音楽の無駄使いとは、なんとなく音楽を流して、なんとなく聴いてる状態のことを指す。
- 通勤通学中にイヤホンで音楽を聴きながら、スマホでSNSを見る
- 耳栓がわりにイヤホンで音楽を聴きながら、勉強や仕事をする
などがこれにあたる。
音楽は素晴らしいが、長時間聴いているとやはり飽きてくる。
「音楽を聴く」という行為に飽きてくる。
耳も疲れる。
どのくらい聴いていれば飽きるかは個人差があるだろうが、僕の場合、2時間も連続で聴いていれば飽きる。
飽きれば、どんな良い曲も、好きな曲も、聴いていてあまり気持ちよくない。
つまり、1日の中で、もっといえば、一生の中で気持ちよく音楽を聴ける時間は限られているということだ。
そして、この「音楽への飽き」は、しっかり音楽を聴いていようが、作業しながらなんとなく聴いていようが、同じように蓄積していく。
その事に気付いたぼくは、作業しながら音楽を聴くことをやめた。
だって、「ながら」で音楽を聴けば、本来音楽から得られる快感や感動は激減する。
それなのに、聴いていることすら忘れてるような状態でも音楽への飽きは蓄積していく。
ぼくは、そんな風に音楽を耳栓がわりにして、限りがある「音楽を楽しめる時間」を浪費したくない。
周囲の音を消したければ、耳栓をすれば良いだけだ。
ぼくは、カフェでもコワーキングスペースでも、周囲の音が気になれば耳栓をしている。
そして、音楽を聴くときは、「音楽を聴く」という行為しかしない。
Apple Musicでお気に入りの曲だけを選び、全身でそれを聴く。
そうやって、音楽から得られる全てのものを余す事なく堪能する。
最高だ。
音楽の無駄使いをやめ、聴く時間を制限すると、音楽というものが僕の中でより素晴らしくて、価値のあるものへと変わった。
音楽の無駄使いをやめる。
そうすると、少しだけ、だけど確実に、人生が豊かになる。
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