意識高い系ズボラのwaNABE(ワナベー)です。
ぼくはマンガやアニメが好きでよく見ています。
だから、凶悪な犯罪が起きたときに、マスコミが容疑者の部屋にあったマンガやアニメを事件と結び付け、「マンガやアニメは規制しろ」という空気を作るたびに、怒りを感じていた1人でした。
例えば、リアルタイムで見ていた「ひぐらしのなく頃に」がある事件の影響で、放送が大幅に延期されたときは特に遺憾の意を表明しまくってました。友達同士で。(続きがすごく気になっていたので)
しかし、最近になってある1つの考えが湧いてくるようになりました。
マンガ、アニメ、映画、小説などのフィクションは、心の強い人のみが見ることが許される娯楽なのではないか?
と。
あなたは過去に戻りたいと思ったことがありますか?
先日、はてなブロガーのzorazoraさんが書いたこんな記事を読みました。
この記事は、「あなたは過去に戻りたいと思ったことがあるか?」というテーマで書かれていました。
著者のzorazoraさんはそう思ったことはないそうで、ぼくは「マジか!」と驚きました。
ぼくは余裕のYESで、これまでの累計で何度も何度も思ったことがあります。
「もし過去に戻れたらあの時代に戻って、ああして、ああやっておけば、今もっと幸せな生活を送れていたのに」と夢想しては、ため息を漏らすことなんて日常茶飯事でした。
これは統計などは無いのでぼくの感覚ですが、もし過去に戻れたら…と考えたことがある人ってかなり多いんじゃないでしょうか。考えたことない人より。
でも、冷静になって考えると、そんなことを考えるのってはっきり言って無駄ですよね。時間の無駄。
だって過去に戻れるなんてことはできっこないんだから。考えるだけ無駄です。
そして時間の無駄になるだけでなく、現実の世界で一歩踏み出すことの足かせにもなってしまいます。
過去に戻れたらと考えているうちは、目の前の問題について現実的な打開策を考えてないということですから。
もっと言うと、僕の場合ですが「なんか知らないけど不思議な力が働いて、明日目覚めたら中学生ぐらいまで時間が戻ってないかなあ」と割と本気で思いながら床についたりしたこともありました。
そうやって、現実から逃げていたんです。
さて、ここからが本題ですが、この「過去に戻る」という発想ですが、
もしマンガやアニメなどの娯楽作品が存在しなければ、実はそんな発想はぼくらの頭の中には存在しなかったんじゃないのか?
と思うことがあるのです。
マンガやアニメにはよくタイムマシーンで過去に行くという話が登場します。
誰が最初にその設定を思いついたのかは知りませんが、想像力豊かな作家先生が考え出したものを、他の作家先生も「これは面白い」と思って我も我もと使うようになったのでしょう。
そのせいで、タイムマシーンという概念自体はもはや当たり前のようにみんな知っているレベルの常識になっています。
しかし、そういう題材を扱った作品が世の中に浸透していなかったとしたら、実は僕らは「過去に戻る」という発想自体なかったんじゃないだろうか。
もしそうだとしたら。
僕のようにしょっちゅう「過去に戻れたらなあ」と考えている人は、マンガ・アニメによって多かれ少なかれ悪影響を受けていることになります。
しかし、先にも書いたように、同じ環境にいても「過去に戻れたら」なんて微塵も考えたことがない、非常に合理的な人もいるわけです。
このように、マンガ・アニメから受ける影響は、人によってその感受性が全く違います。
「過去に戻れたら」と思うことぐらいはまだ軽微な影響ですが、もっと極端な例だと本気で二次元のキャラに恋をしてしまう人などがいます。
以前、『ハンター × ハンター』のキルアというキャラ(男)が作中でその妹にキスするシーンが出てきて、そのことに嫉妬したオタクの女性がリストカットしているブログを見たときはかなり衝撃でした。
僕もそこまではないですが、かなり面白いアニメなどハマってしまうと、それを視聴し終わったあと、作品の世界に入りすぎてしばらく現実の世界に帰ってこれないというか、いつまでもその作品世界に浸っていたいという気分になることがあります。
これらの娯楽は、現実(自分の日常)とは違う世界を体験することに面白さがあるのですが、作品の面白さや視聴者の感受性が強すぎると(もしくは今の現実が苦しすぎると)、深刻な現実逃避の温床となってしまいます。
影響と一言で言っても、悪い影響もあればもちろん良い影響もあります。
作品の面白さ自体が生きがいになったり、作中の魅力的なキャラから勇気をもらったり。
だけど、やっぱり影響されやすい人ほど、悪い影響が目立ってきてしまいます。
娯楽を娯楽だと割り切って楽しめる人はいいのですが、そうでない人は作品の「面白さ」という本来の効果・効能以外の副作用が目立ってきます。
冒頭の「マンガ、アニメ、映画、小説などのフィクションは、心の強い人(=娯楽を娯楽だと割り切れる人)のみが見ることが許される娯楽なのではないか?」
というクエスチョンはこういう考えのもとに生まれてきたものです。
では規制するべきなのか?
これについては議論するまでもなくNoと言えます。何事もリスクをゼロにすることはできません。
交通事故がなくならないから、自動車の運転を禁止しようという考えが馬鹿げていることと同じです。
しかし、そうすると娯楽を娯楽だと割り切れない人たちはどうすればいいのかという話になってきます。
こういう人たちを切り捨てるのか?と。
その点にぼくは頭を悩ませました。そしてたどり着いたのが以下の結論です。
感受性の強い人、心が弱い人、作品に依存してしまう人はどうすればいいのか?
これについては、選択肢は2つしかありません。
- そういう自覚のある人は自主的にアニメ等を見ないようにする
- 見たければ自律した人間になる
見なければ何も問題は生じません。でも、そう言われて見るのをやめる人なんていませんよね。
そこで次の選択肢。
冒頭で僕は過去に戻りたいと何度も思ったことがあると書きました。
しかし、今現在はそんなことを考えることは無くなりました。
そんなことに意味はないと本当の意味で理解したからです。
それを手助けしてくれたのはアドラー心理学に関する書籍たちでした。
これらの本を何回も読んで、過去にとらわれることの無意味さ、「今ここ」に強烈なスポットライトを当てて、目の前のことに集中することが充実した人生を送るために必要だということを頭に叩き込むことができました。
だから、今では過去に戻れたらなんて考えることはありません(たまあああに脳裏をよぎるけど、すぐに打ち消します)
作品に依存しすぎてしまう人たちも結局は人として自律できていない人たちなんだと思います。
自分の2本の足で立つことができないから、魅力的な作品世界やそこにいるキャラたちに寄りかかってしまうのです。
その原因は、自分のトラウマ(と思い込んでいるもの)だったり、過去への執着だったり、劣等コンプレックスだったり、人間関係の悩みだったり、未来への恐怖だったり。
それらを乗り越えることができて、ようやく健全にアニメやマンガを楽しめるようになるわけです。
アニメ・マンガは素晴らしい文化だと思います。
それらがマスコミの攻撃の的にされないためにも、ぼくたち作品を楽しむ側が自律した人間になることが必要なのではないでしょうか。
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