この本を読むと得られるもの
- 「才能」という言葉の捉え方が、よりポジティブかつ実用的なものへとアップデートされる
- 自分の才能の見つけるための具体的な方法がわかる
- 自分の才能を今活かすための具体的な方法がわかる
- 才能をこれからずっと育てていくための具体的な方法がわかる
この本を読むと救われる理由
この本を読むことで得られるメリットはさまざまあると思う。
その中で、個人的に1番強く感じたのは、記事タイトルにも書いたように、この本を読んで救われた気持ちになった、ということだった。
その理由は大きく次の2つが挙げられる。
- 自分と他人を比べることの苦しみから解放されるから
- 短所で苦しまなくていいようになれるから
その中でも、この記事では1つめの、「自分と他人を比べることの苦しみから解放される」という点について、なぜそう言えるのかを解説していく。
多くの人が「自分には才能がない」と勘違いしてしまう理由
では早速、「自分と他人を比べることの苦しみから解放される」という点について説明していこう。
この本を読んで思ったのは、「才能という言葉をどう解釈しているか」と「自分と他人を比較してしまうこと」は密接に関連しているということだった。
なぜそうなのかを説明するために、まずはこの本で「才能」という言葉をどう定義しているかを説明していく。
ひと言でいうと、この本は「才能」という言葉を、とても前向き(ポジティブ)かつ実用的に解釈している。
才能という言葉を実用的に使うためには
「藤井聡太さんは将棋の才能がある」
「錦織圭さんはテニスの才能がある」
たぶん多くの人は、才能とは「他を圧倒するほど突出して秀でている、ある1つの能力」と捉えられているんじゃないかと思う。
ぼくもそう思っていた。
だけど、この本の解釈はちょっと違う。
この本では、才能とは「ついやってしまうこと」「当たり前にやっていること」と説明している。
そして、その「ついやってしまうこと」を
- 見つけて
- それを(主に仕事で)うまいこと使う
そのための方法が、この本には書かれている。
その結果、
- ついやってしまう事で仕事をしているので、常に自然体で(自分らしく)いられる
- 当たり前にできることなのでうまくいく、結果も出る
という状態を実現させる、というのがこの本のおおかたの趣旨だ。
おそらくここまで読んだ人の中には、「自分にも”ついやってしまうこと”の1つや2つはあるだろうけど、仕事に使えるものなんて無いよ」
と思った人も多いかもしれない。
だけど、おそらくこの本を読めばその懸念は問題にならない。
その理由は、この本には以下のようなことも書かれているからである。
①あなたの”ついやってしまうこと”を徹底的にあぶり出す方法がビッシリ書かれている
→分母が増えれば仕事に活かしやすいものも見つかる
②”ついやってしまうことだけど、これはしょぼすぎて才能とは呼べないだろう”と思うことでも、本書では才能としてすくい上げる
→ちょっとした癖のようなものも、才能として活かす方法が書かれている
②についてだが、ぼくも最初にこの本を読み進めていたときには、途中、「おいおい、それを才能と呼ぶのはちょっと大げさすぎないか?」「その特徴は才能と呼ぶにはちょっとショボすぎでは?」と思ってしまうことが何回かあった。
でもそれはやはり、「才能とは他を圧倒するほど突出した1つの能力だ」というこれまでのイメージにまだ引っ張られているからだろう。
つまり、この本でいうところの「才能」がショボいのではなく、これまでの僕らが「才能」というものを大げさに解釈しすぎていたのだ。
では、そうやってこの本の言うように「才能を解釈し直す」とどんなイイことがあるのか?
前述のとおり、本書でいうところの才能はちょっとしたものも多いので、その才能1つをうまく活用できたとしても、人生を大きく変えるほどの変化は起こせないかもしれない。
しかし、1つの才能で戦わないといけないなんてルールはどこにもない。
これまで才能を大げさに捉えていたせいで、才能という1つの大きな武器を振りかざして勝負しないといけないという先入観のようなものが植え付けられていた。
この本に従って才能発掘のワークを行えば、才能認定のハードルが下がるため、どんな人でも簡単に才能と呼べるものがいくつも見つかる。
そして、その1つ1つをどう活かしていくかの方法もこの本には書かれている。
1つの才能では心許なくても、複数の才能を適切に運用することができるようになれば、それはやがて大きな力となって、人生に大きな変化を起こせるようになる。
1つ1つの才能はありふれたものであっても、どんな才能の組み合わせを持っているかは、絶対に他人とはかぶらない(全く同じ遺伝子と、全く同じ環境刺激を受けて育った人間がいない限りは。そんなことは一卵性双生児であっても不可能だけど)
ぼくが思うに、その人固有の才能の組み合わせ、その1セットの能力の集合体が、その人の真の才能と言えるのではないだろうか。
真の才能は、ぜったいに被らない組み合わせの才能の集合体、つまり、その人だけが持つ唯一無二のものであるため、この上ないオリジナリティと、とても大きな力を持っている。
他人との比較による苦しみから解放される理由
話を戻すと、才能という言葉をこの本が定義する意味で捉え直すと、「他人との比較によって生まれる苦しみ」から解放される。
なぜなら、
自分の才能が他人より劣っていても問題なくなる
からである。
自分の才能が他人より劣っていても問題なくなる
本書の方法に従って自分の才能を探していくと、「自分は”物事を説明すること”が得意だけど、自分より説明がうまい人はいるからこれは才能とは呼べない」というような考えに行き着く人もいるかもしれない。
一見、これはごもっともな意見にも思える。
しかし、そんなふうに考える必要は全くない。理由は2つある。
その才能が機能していれば、他人より劣っていようと問題ない
才能とは「ついやってしまうこと」「当たり前にできてしまうこと」だった。
つまり、もしその才能を活かせている状態に持っていくことができれば、つまりその才能を使って仕事をすることができれば、非常に楽に仕事ができるということである。自分を活かせている状態ともいえる。
自分の才能を理解できておらず、苦手なことを任されて苦しみながら仕事をしている、という状況に比べれば何倍も幸せな状況だろう。
要は、他人がどうであれ、自分がストレスなく、自分らしく生きていられればそれでいいじゃないか、ということだ。
才能は個人戦ではなくチーム戦
「自分は”説明が上手い”という才能を持っているが、同僚のAの方が説明が上手く、自分が活躍する場もないし、劣等感も感じる」
という意見もあるかもしれない。
だけど、これも問題にならない。
前述したように1つの才能で戦う必要はなく、才能は掛け合わせることが前提だからだ。
著者の八木仁平さんもこのように言っている。
人並みの才能も組み合わせれば、あなただけの「特別な才能」になります。
例えば、僕の場合は「新しい知識を学ぶ」才能を持っています。けれど、僕より得意な人はそこら中にいます。
ただ僕は「知識をつなげて整理する」才能も持っています。
そして、「シンプルに伝える」才能も持っています。
それぞれは「つい、やってしまう」だけのありきたりな才能です。しかし、3つの才能を組み合わせて持っている人は多くありません。
それらを組み合わせたときに、「学んだ知識を体系立ててシンプルに伝える」という僕だけの特別な才能になるのです。
八木仁平さんはこの「特別な才能」を活かして本を執筆し、前著の『世界一やさしいやりたい事の見つけ方』は30万部のベストセラーを記録した。
何度もいうが、1つの才能で戦う必要はまったくない。
才能バトルは個人戦ではなくチーム戦なのである。
絶対的エースがいなくても、チームワークを磨けば勝機はある。むしろ、絶対的エースがいるチームはワンマンチームになりがち(1つだけの才能に頼りがち)だが、個の力には限界がある。才能のチームワークによる相乗効果を高めたほうがより確実に独自性の高い人材になれる。1つの才能だけでは、絶対に上には上がいるからである(その才能で世界一になった、たった1人を除けば)。
自分の才能を徹底的にあぶり出し、かつ、上記の考え方ができるようになれば、他人の才能を妬むことはなくなる。
最後に。この本に希望を感じる最大の理由
何度もいうように、この本の定義に従うと、本当に些細な得意なことや、ちょっとした行動や思考の癖も「才能」としてすくい上げることになる。
従来のぼくらの認識からすると、それらは「才能」というよりは、「個性」と呼んだほうがしっくりくる人も多いような気がする。
僕もこの本を読んでいる最中は、「才能」というより「個性」と呼ぶほうが、読者の理解もスムーズになっていいのでは?とうっすら感じながら読み進めていた。
しかし、この本を読み終えた今、その考えは一変した。
それらの個性を「才能」と呼ぶこと自体に、著者のメッセージが込められているような気がしたからだ。
多くの人が、「才能」という言葉に対してはかなりポジティブで力強いイメージを持っていると思う。人生を変えてしまうほどの強いパワーがあると認識していることだろう。
言葉の持つイメージの力が、僕らに与える影響は想像以上に大きい。人は感情で物事を判断し、行動する生き物だからだ。
私たちの誰しもが持っているようなちょっとした長所をあえて「才能」と呼ぶことは、「自分にも才能がある」という認識を通して、自分という存在に希望を持って欲しいという著者の願いが込められているのではないだろうか。
その解釈はとてもポジティブであるし、それでいて決して地に足がついていないものでもない。
なぜなら、先にも述べたように、1つ1つは些細な才能でも、自分にしかない組み合わせでそれらをかけ合わせたとき、自分だけの特別な才能になるからである。そしてそれがとても大きな力を持っていることは、ゼッタイに間違いない。
それを見つけ、自分の人生に活かす方法が、この本には書かれている。