つまらない飲み会には行かないに越した事はない。
が、やむを得ず行かなければいけない場合や、期待して行ったが面白くなかったという場合もメリットがないわけではない。
「つまらなかった」というイラつきや後悔を引きずる事なく、
その「つまらなさ」を踏み台にして少しでも人生を有意義にする術について書いていく。
思い出してみてほしい。
楽しかった飲み会のあとひとり暮らしの自宅に帰ると、言いようのない孤独感に襲われた事はないだろうか?
逆につまらなすぎて「これなら家で仕事してた方がマシだ」「早く帰ってアニメ見たい」という飲み会から帰ったひとり暮らしの自室は楽園のように感じる。
不意な孤独に襲われる事なく、すぐに日常に復帰して「やるべき事」「やりたい事」に時間を割ける。
目を凝らせば、つまらない飲み会にも良い面がないわけでもない。
人生には独りの時間が必要だ。
自分と向き合う時間。
自分を磨く時間。
自分を労る時間。
だが人は弱い生き物。
自ら進んで孤独になれない人もいる。だが、つまらない飲み会で他人といる苦痛を味わえば、自ら孤独になりたくなる。
意思の力を使わず、気付けば独りの時間ができている。
一方でずっと孤独が続くとそれはそれで精神的につらくなってくる。そして長いこと孤独でいると、「独りでいる事が辛いのに人と会うのが億劫、恐い」という矛盾した状態になる事がある(人間は面倒くさいのだ)。
そんなときに、行かざるを得ない「つまらない飲み会」に出席し強制的に「他人といる苦痛」を味わえば、「ずっと独りでいる事の苦痛」をいったんはリセットできる。
毒をもって毒を制す、あるいは、仏教の「人生は”苦”である」という考え方にも近い。
旅行にも似たようなところがある。
楽しい旅行も長丁場になると、だんだん家に帰りたくなり、やっと自宅に帰れた頃には日常の素晴らしさを痛感する事になる。
”ずっと続く日常という苦”を”旅という非日常”で紛らわせる事で最初は楽しいが、やはり非日常もずっと続くと”苦”であるため、日常に帰りたくなる。
キャンプや登山も同じところがある。
また、人間というのは自由な時間がありすぎても、時間の価値を見失って不適切な行動をとってしまう。
定時で早く家に帰れたときほど「まだ時間に余裕があるから」と、予定していた「資格の勉強」や「副業」などのやるべきことを脇にTVを見てダラダラしてしまい、そのまま時間を使い切ってしまうのはよくある話。
逆に、「つまらない飲み会」で強制的に時間を奪われた場合は、自由な時間が少なくなる分、自分の時間の価値・貴重さが明確になる。
それにより逆にやるべき事にスムーズに取り組めたりする。
娯楽にしても時間を限定されている方が質の高い時間を過ごせるものだ。
大学時代の長期休暇に暇すぎて1日中アニメを見ていたときより、「つまらない飲み会」のあとに「やっと帰れた」と言いながら見る1話分のアニメの方が確実に満足度は高い。
つまらない飲み会には行かないに越したことはない。
だが、どんなに悪い出来事にも、ちゃんと探せば良い面や学びとれるものはある。
起きてしまった不幸にいつまでも足をすくわれる事なく、さっさと消化して、できるのなら血肉にして、とっとと次に行こう。