明日、2021/06/09。大人気マンガ『進撃の巨人』の最終巻が発売される。
自分はこのマンガの主人公のエレンが最高に格好良いと感じていて大好きだった。
エレンに影響されて髪も伸ばし始めた。
エレンの生き様に自分を重ねたりもした。
しかし、最近になってこう思うようになった。
俺は、いや俺たちは、エレンではなくアルミンのようにならなくてはならないのではないか、と。
エレンのように自由を求め死物狂いだった20代
主人公のエレンが戦う理由は物語の中で終始一貫している。
それは自分、あるいは大切な人の「自由」のためである。
彼の「自由」への執念は凄まじく、そのためであればどんなに強大で恐ろしい敵であっても鬼の形相で食らいつき、またときには非情な決断も辞さない。
自分はそんなエレンの生き様や意思の強さが格好良いと思っていた。
また20代後半のその頃、自分も彼と同じく自由を求めあがいていた。
会社員生活がこの上ない苦痛に満ちていて、どうにか会社を辞めて生きていけないかともがいていた。
紆余曲折の末、最終的には会社に行きながら副業をやって、生計が立つようになったら独立する事を目指した。
物語の中では壁の外には自由があるが、そこには恐ろしい巨人がうようよとひしめいている。
それと同じように、会社という組織の外には自由があるが、同時に様々な経済的リスクに曝される。
壁の外も、会社の外も、常識の外にある世界は自由ではあるが恐ろしさが伴うという点で同じだった。
また、当時、会社に行きながらの副業は時間的にも体力的にもかなり厳しいものがあった。
だけど俺は、それでもやっぱり、自由になりたかった。
会社から帰宅した後と、休日と祝日、会社で働いている以外の時間はすべて副業に捧げた。
成果が出ずに諦めそうになったり、収益が出るようになってからも「本当にフリーでやっていけるのか?」という恐怖に襲われる事があった。
だけど、そんなときはエレンのこの言葉を思い出した。
彼の言うとおりだった。
俺も自由のことを考えると力が湧いてきた。
そのためならなんだってするし、何を犠牲にしてもいい。
そして2017年2月、、おれは会社を辞めて独立した。
壁の外の、自由な世界へと足を踏み入れた。
壁の外の世界の真実(3次元ver.)
会社をやめた直後はそれはそれは幸せだった。
会社のストレスで15kg痩せるまで減退した食欲も回復し、普通にご飯が食べられるだけでも幸せだった。
この生活を維持できるのか?という不安もそれなりにチラついたが、もう俺は自由なんだという解放感と、自由がもたらす明るい未来への期待で胸は満たされていた。
まずは当面の不安に対処するため、フリーとしての生活を起動にのせるため、身を引き締めて働いた。
時間に自由が効く分、生活が堕落しやすいのは目に見えている。
娯楽や休日もそこそこに、毎日カフェやコワーキングに行って仕事をした。
気付いたら1年が経ち、2年がすぎていた。
特に遊んだ記憶も楽しい思い出もなく、ずっとパソコンに向かっていたのに、収益は落ちていた。
それは、作業の効率と、なにより事業へのモチベーションが会社員時代より明らかに落ちていたからだった。
なぜそうなったのか。
よく考えてみると気付いた事がある。
俺は自分が勤勉だから、あるいはフリーランスならではの不安から土日も休まず仕事をしていると思っていたが、そうではなかった。
もちろんそれもあるのだが、最大の要因は、「休日にやりたいことが特になかった」からだった。
休日に限らず、事業やその他の分野においても、やりたいことが特にない。
人生においてやりたい事がなかった。
自由になってからやりたい事がなかった。
まだ高校時代の学習性無力感を引きずっているのかもしれない。
それでいて、会社の外の世界でも、HSP気質や認知の歪みに伴う苦痛がなくなるわけでもなかった。
外側の世界も内側と同様、それなりに残酷だった。
生き甲斐を持たないままに、この苦しい世界で生き続けるというモチベーションを維持するのはとても困難だった。
収入はどんどん落ちていった。
自由になれば幸福な人生を送れると勘違いしていた男は、自由を手に入れて自分が空っぽだという事を知った。
そんな中、『進撃の巨人』の連載はまだ続いていた。
自分はひと足早く自由を手に入れていたが、エレンはまだ自由のために死闘を繰り広げている。
相変わらずおもしれーなと思いながら単行本で物語を追っていた。
そんなとき、ふと気付いた。
「エレンって、このまま自由を手に入れても報われないのでは?」
「自由になっても、そのあと俺みたいに空っぽの自分に気づくことになるのでは?」
そう思った根拠はたくさんあるが、1番決定的なのは単行本の巻末にある番外編「進撃のスクールカースト」の中にある。
このマンガは進撃の登場人物たちが、巨人のいない世界で高校生活を送るというもの。
注目すべきは、この中に出てくるエレンが本編では考えられないほど無気力な少年として描かれている。
また、自分の平凡な高校生活が映画のような劇的な事件(学校がゾンビに襲われるとか)によって面白いものにならないだろうかと夢想するなど、エレンのとても受け身な側面も見て取れる。
番外編だから性格が違うのか?と思ったが、そうではない。
番外編でのエレンの性格は、本編と地続きだ。
それは、本編のあるシーンを見ればわかる。
アルミンがエレンに壁の外の世界について教えるシーンだ。
これ以前のエレンは、壁の外の世界のことなど(他の大勢の大人と同様に)考えたことすらなく、番外編のエレン同様「なにかおもしれー事起きねえかな」と無気力に他力本願の願望をつぶやくだけの少年だった。
しかし、アルミンから壁の外には内側にはない未知の世界(海や砂漠や氷の大地など)が広がっており、巨人のせいでそこへ行くことはできない事を知ったその瞬間、自分が不自由である事実が浮き彫りになり、ここでやっと自由を奪っている巨人への強烈な怒りに目覚める。
俺にも似たような事があった。
会社員はつらかったが、みんなつらそうだし、人生はそんなもんなのかもしれないと思っていた。
だが、ホリエモンのメルマガを見始めたときだった。
近況報告のようなコーナーがあるのだが、毎週毎週日本のあちこち、世界のあちこちへ行って、仕事をしながら美味いもの食って、色んなレジャーを楽しんでいた。
海外なんてあんまり興味がなかったというか、自分とは関係のない世界だと思っていたが、こうやって誰かが楽しんでいるのを見て初めて本当に存在する世界なんだなと感じる事ができた。
そして、興味が出たのはいいが、海外に行こうにも会社づとめじゃ簡単には行けない。
でもそれができてる人もいる。
こんなに自由な人もいるんだ。あれ、という事は自分は不自由なんだ、と思った。
その事実はなんか納得できなかった。
海外は楽しそうで、でもなんとしてでもそこに行きたいというよりは、行こうと思っても行けないという不自由な状況に自分がいて、いっぽうで自由に行ける人もいるという事実が、なんだか自分が割りを食っているように感じて、強い不満を感じた。
だから、独立後に海外旅行に行ったのは1年半後のことだったし、それも自発的に行ったものでもなかった。
話を戻すと、エレンも巨人がいない世界で最初から自由の身であったら、番外編のような生きる目的のない無気力な人間だっただろうという事だ。
エレンも、「巨人を駆逐して海に行きたい」と言っているシーンもあるが、でも本当の願望は「自分が好きな場所に行くという権利=自由を奪う巨人が許せない」というもので、海自体にそこまで強い興味があるわけではないことが、次のようなシーンからも伝わってくる。
▲海のことを忘れていたエレンと、それに気付いて悲しそうなアルミン
▲ガキの頃の夢を忘れてた事を告白するエレン
▲「とりあえず何でもイイから外の世界を見て自由を感じたい」という本音が漏れるエレン
エレンには強い意志があるように見えるが、自分の身に降りかかる火の粉を払う事には常軌を逸した力を発揮しているだけで、どちらかと言えば受け身な人間だ。
アルミンから教えられるまでは「自分が不自由である事に気付けなかったこと」「そんなこと考えもしなかったこと」「自分で行動せず何か面白い事が起きてくれる事を期待してたこと」という事からもそれがわかる。
マイナスをゼロに戻す事には力を発揮するが、ゼロからプラスに進むのが不得手な人間。
エレンもおそらく自由を手に入れた直後こそ幸福に包まれるだろうが、しばらくすれば自由になったあとにやりたいことがなかった事に気付くんじゃないだろうか。
▲33巻で自分が思い描く自由を手に入れた直後のエレン。俺も会社辞めた直後はこんな感じだった
僕らはアルミンにならなくてはいけない
そういう事を考えるようになってからやたら気になりだした人物がいる。
エレンに外の世界の存在を教えた人物、アルミンだ。
好奇心に満ち溢れ、能動的で、情報を自分から取りに行くタイプの人間。自分で自分の人生を面白くしようとする気概のある人間だ。
アルミンはエレンとは違い、「外の世界を探検する」という目的のために自由を求めていた。
アルミンだけが、自由になったあとにやりたいことをちゃんと持っていた。
エレンはアルミンが夢を持っている事が羨ましくて、自分の本当の願望なのか自分の心と向き合わないままアルミンの夢に便乗し、私怨も相まってその夢のための手段(自由)を目的化してしまった。
他人の夢、他人がやっている事がやけに輝いてみえて、そっちになびきそうになるというのはよくある話だ。
でもそれは本当に自分がやりたいことなのか?他人の価値観に惑わされていないか?自分の心に問いかけなければならない。
そして、自由というものは誰しもに輝いて見え、手を伸ばしたくなるものだが、夢を持たない者がそれに救いを求めたところで、手に入れた先にあるのは虚無の世界しかない。そして、虚無に耐えかねた自由人は、また他人の夢になびいたり、生きる意味を他人の中に求めたり、生き甲斐を自分以外のものに委ねるようになる。
答えは自分の中にしかない。
アルミンのようにやりたい事がすぐに見つかる人もいれば、エレンのようになかなか見つからない人もいる。
自分の心を注意深く観察し、ときに振り返り、問いかけ、また進んで、観察する。
そうやって、自分が心からやりたい事を掘り起こすしかない。
僕らは、頼んでもいないのに勝手にこの世に産み落とされ、生き続ける事を強いられる。
なんで生きなきゃいけないのかも誰も教えてくれない。
そういう意味ではこの世界は残酷だ。
そんな中で、自分が心からやりたいと思える事を見つけ、自分自身で人生を彩っていく。
それこそが唯一、この残酷な世界に抗う術じゃないだろうか。
色々書いたが結局の所は、エレンを目指すかアルミンを目指すかという問題はミカサとアニどっちを選ぶかという2択と同義なので、第三者がとやかく言うような問題ではないのかもしれない。