これは、ただの自堕落だった男が、ポケットWi-Fiとカフェに出会うことで、ささやかな幸せや自己実現などの様々なものを手に入れ、人生を変えていった話
「休みの日は午前中のうちに絶対外に出ろ」
これは、ぼくが大学の4年間という長い時間と、膨大な学費を費やして得ることができた唯一の教訓だ。
大学生になりたての頃。
大学生活という期間限定の自由をムシャぶりつくそうと、ぼくはこれでもかと家に引きこもり、ダラダラした。
はじめは快感だった。
高校までのことを思えば、こんなにダラダラできるなんて考えられなかったから。
だけど、だんだん、1日中家にいることに飽き、やがて苦痛を感じるようになっていった。
1日中家にいて、マンガを読んだり、ネットを見たりしても、なんだか味気ない。
自分の部屋という閉鎖された空間にい続けると、世界に自分がひとりぼっちな気がして、とても空虚な気持ちになる。
誰かに会いたい。
そう思うようになった。
何度もそう思った。
が、僕はその時、誰かを誘うということに病的に苦手意識を持っていて、できなかった。
家から出ないことが憂鬱の原因だとも気付かず、どうしたらいいかもわからず、何をする気力もなく、部屋の中に蟠る堕落の空気に埋もれ、ぼくは身動きができなくなっていた。
気分が悪くて何もしたくないが、何もしないとさらに気分が悪くなる。
完全に悪循環。
ただただ苦しかった。
憂鬱で空っぽな大学生活が終わり、ぼくは社会人になった。
もうあんな思いはしたくない。
そう思い、休日は積極的に外に出ようと決めた。
休日だからといって、朝からダラダラすると、気分がどんどんダラけていく。その結果、結局1日中家でダラダラして終わる、という流れができてしまう。
だから、休日でも平日と同じ時間(遅くても平日の起床時間プラス30~60分)に起き、外に出ることを自分に課した。
相変わらず誰かを誘うことは苦手だった。
ごくたまに誰かから誘われることもあったが、基本的に休日は何も予定はない。
だから、外に出る理由が欲しかった。
そこでぼくは、ポケットWi-Fiを契約することにした。
僕を家に縛り付けていたものの1つが、ネットの固定回線であることは疑いようのない事実だ。
別にネット依存とまではいかないが、ネットを通じればやはり無限ともいえる膨大なコンテンツ(ニュース、ブログ、記事、画像、音楽、動画など)にアクセスできる。
何かの用があってWebブラウザを開いたものの、気付いたら数十分、数時間もネットサーフィンをしていたという経験は誰にでもあるだろう。
しかも、インターネットが発展したこの時代では、ネットを通じてしかできない作業、ネットを通じてできるようになった作業というものも増えてきた(買い物、飛行機・新幹線予約、銀行関連の手続き、クレカ明細・手続き、各種申し込み、行政手続き、など)。
固定回線でしかネットにアクセスできないと、それらの作業をしなければならない時に家から出られない(家から出なくていい)理由ができてしまう。
だったらそのネット環境を外に持ち出せるようにしたらいい。
そうすれば、ぼくを家に縛り付ける理由がなくなると同時に、外に出る理由も作ることができる。
外でネットができるようになる。
(カフェにあるフリーWi-Fiは通信が暗号化されてない(セキュリティー的にゆるい)ので、安心して使えなかった)
契約する前は、ポケットWi-Fiが固定回線より通信が遅くて、イライラするんじゃないかと少し心配もした。
でも幸いなことに家でも外でも全然ストレスを感じることなく、ネット記事も動画も見れた。
山奥などのよっぽどな田舎でない限り、安定してWi-Fiの電波も拾えた。
そんなポケットWi-FiとノートPCを持って、ぼくはカフェへ通った。
学生時代はカフェなんてほとんど行かなかった。
なんでコーヒーやお茶にあんな高い金を払わなきゃいけないんだと思っていた。
場所代も含まれてるから、とよく言うが、場所なんてものにお金を払うんだったら自分の家にいればいいだけの話。
遠出したときの休憩として使うのはまだわかる。
だけど、自宅の近所のカフェにわざわざ本やPCを持ち込んでいる人の気持ちが理解できなかった。
金払ってそれをするぐらいなら家でいいだろ、金がもったいないだろ、と。
とまあ、そういうケチで貧乏くさい思想が暗黒の大学時代を生むことになったことをこれから思い知ることになるわけだけど。
一言で言えば、カフェでネットするのは最高だった。
ネットを通じてやっていることは自宅と変わらない。
ニュースやくだらない記事や動画を見ているだけ。
だけど、ただそこに人がいる、自分以外の人間がいるというだけで、気分が全然違った。
別に知り合いがいるわけでもない。そこにいるのはただの他人だ。
会話をするわけでもない。
でもそこにいると、自分の部屋にいるよりは遥かに気分が良かった。
カフェという空間もその気分に一役買っていたと思う。
シックな色使いの落ち着いた店内に、整然と、ゆったりと並べられたテーブル。そんな空間をガラス張りの壁からいっぱいの日光が照らしていた。
あの部屋とは何もかもが違う。
あまり陽が入らなくて、蛍光灯で無理やり明るくした、自分一人しかいない、誰の声もしない、自分の吐息の音を聞き取る気力すらなくす、あの狭くて、憂鬱で、寂しくて、虚しいだけのあの部屋とは。
「なんでコーヒーやお茶にあんな高い金を払わなきゃいけないんだ」
そう思っていた学生時代の自分をトカレフで撃ち抜きたい。
こんなに良い気分になれるなら、あの陰鬱な気分を捨て去ることができるなら、400円ぐらい喜んで差し出す。
京大卒ニートとして有名なPhaさんも、著書『ひきこもらない』の中で、”いつもの家とは違う場所で見るインターネットはなんであんなに楽しいんだろうか”ということを書いてたけど、僕もまったく同感だ。
近所だけでなく、少し遠くの街まで足を伸ばすのも好きになっていた。
これまでは出かける理由がないから遠出なんてしなかったし、用はないけど街をぶらつくという行為を楽しむこともできなかった。
そんなことをしても、用がないから本当に何もしなくて、街を歩いてただ時間だけが過ぎて、休みを無駄にしたという後悔だけが残ることが多かった。
だけどポケットWi-Fiがあることで、「ネットサーフィンをする」でも、「加湿器が欲しいからAmazonで物色する」でも、「クレジットカードを作りたいからネットで調べる」でも、何でもいいからその街のカフェで「やること」をつくることができた。
そのついでとして街を歩いてみると、なぜかそれまでとは違ってそれを楽しむことができた。
たぶん、街を歩くことがメインじゃないから、それが仮に楽しめなくても、メインの目的が果たせればいいっていうゆとりがあったからだろう。
そうやって街を歩いて、美味しいラーメン屋を見つけたり、ガレットが美味しいカフェを見つけたり、すごく気の合う店員がいる服屋を見つけたりすると、すごく幸せな気分になれた。
自分の部屋でダラダラしている時は、何をするのも面倒くさくて、ほんの3分もあればできる事務作業(自動車保険の更新手続きとか)もほったらかしで期限を守れないことも多々あった。
けど、そんな家ではできないような作業も、カフェに持ち込めば難なく取り掛かることができた。
ポケットWi-Fiを持つことで外出する理由を手に入れ、朝起きてダラダラし始める前にカフェに行く習慣が身につき、堕落にまみれていたぼくはだんだんと真人間になっていった。
また、ポケットWi-Fiには思わぬ副産物もあった。
まず、月々の通信費がかなり安くなった。
ぼくが使っているのはBroad WiMAXというWi-Fiだけど、月々3000円ほどしかかからず以前使っていた固定回線よりもずっと安い。
Wi-Fiを選ぶに当たっては、探し得る限りの会社を比較検討し、熟考して決めた。
その結果、月々の使用料が安いBroad WiMAXを選んだ。
他社はキャッシュバック制を設けることでお得感を出していた。
が、はっきり言ってその手続きをするのが面倒くさい。
しかも、キャッシュバックの申し込み受付が契約から半年後とか、1年後とかだったりする。そんな時期だと絶対忘れてしまう。
その点、Broad WiMAXはキャッシュバックがない代わりに、月々の料金が何もしなくても安いことで他社と差別化している。
絶対こっちの方がいい。
それだけではなく、ポケットWi-Fiはどこにでも持ち運べるので、外にいる時にスマホでもWi-Fiで通信ができる。
これにより、スマホの通信プランも1番容量の小さいプランに変更することができ、ここでも通信料の節約ができた。
また、WiMAXは、3日間の使用量の合計が10GBを超えると速度制限がかかること以外は、ひと月の使用量の決まりもない(無制限に使える)。
だから、特に遠慮することなく思いっきりネットに接続できる。
(よっぽど荒い使い方をしなければ、PCとスマホ合わせても3日で10GBを超えることはまずない。あと速度制限がかかってもYoutubeが見れるぐらいの速度は出る)
他のWi-Fiサービスはひと月あたりの使用量が決まっているので、このメリットは大きい。
あと、引っ越ししたあとに、新しい住居で固定回線を契約し直したり、またいちいち工事に来てもらったりする必要がないのがすごくいい。
あれは面倒で仕方ない。
ここまででも、かなり人生が良い方に転がったけど、ぼくに起こった変化は、まだまだこんなものじゃなかった。
カフェによく行くようになると、そこに色んな人がいることがわかってきた。
ゆっくりくつろぎに来ている人の他にも、がっつり作業に来ている人も多い。
PCに向かって作業するビジネスマン風の人や、教科書とノートを広げて勉強している看護学生は特によく見かける。
ただネットサーフィンすることにも飽きてきたぼくは、いつしか、そういった人々に紛れて、生産的な活動にも取り組むようになっていた。
自分の部屋の、あの陰鬱な空気を吸っていては、まずそんな発想には至らなかっただろう。
あの時は、ただただ何もする気が起きなくて、何もしたくなかった。
カフェに流れるあの空気、なんて形容すればいいのか、意識高い空気というか、人々の生気が、活気が、息づいているあの空間が、自然と僕をそういう行動へと駆り立てていた。
最初は仕事に関係する論文を自主的に読んだり、業界のことを勉強したりしていた。
これらのことも、不思議と楽しみながらやれて、継続することができた。
たぶん、自主的に取り組んだことがよかったんだろう。
同じ内容のことでも、もし上司に強制されてやっていたとしたら、ストレスでしかなかったと思う。
これによって、会社の会議などで自分から意見やアイディアを出せるようになるなど、良い影響が現れ始めた。
次第にもっと色々なことがやりたくなって、会社とは関係ないこともやり始めた。
小説を書いたり、音楽を作ったり、プログラミングをしてみたり、ブログを書いたり。
少し離れた街の空気と、カフェに漂う静かな活気と、ネット上に公開される多くの創作物に刺激を受けながら、ぼく自身も創作活動を続けた。
ただただ夢中だった。
自然と夢中になっていた。
作ったものはネット上に公開した。
はじめは誰も見ちゃいなかった。
だけど、カフェでのネットと作業が快適だから、構わず書き続けた。
Wi-Fiの電波に乗せて、作品を全世界に公開し続けた。
次第に、反応が得られるようになっていった。
そして気付いたら。
ぼくは物書きとして独立していた。
ぼくはいつの間にか、新しい人生を切り開いていた。
なんでこんなことになったのか、今でも少し不思議に思う。
ただ、振り返ってみると。
ポケットWi-Fiを片手に、カフェに行くようになってから、流れが良い方に向かっていったように思う。
ぼくの部屋はぼくを守るけど、ぼくをひとりぼっちにもする
銀杏BOYZの楽曲『ぽあだむ』より
平日の夜の自宅は好きだけど、休日の昼の自分の部屋がこの上なく嫌いだ。
ぼくは外に出ることの大事さを知った。
外に出れば、自分の世界が広がる。
人生が少しずつ、少しずつだけど、良い方に流れていく。
昔の人は、
「書を捨てよ、町へ出よう」
と言った。
これを現代風に言えば、
「固定回線を捨てよ、町へ出よう」
になるのだろうか。
語呂が悪い。
却下だ。
ぼくはこれからも、もっともっと色んな街で、色んなカフェで、インターネットに接続していこうと思う。
ポケットWi-Fiを片手に、ノートパソコンが入ったリュックを背負って。
今度はどんな世界を見ることができるのか。
そう思いながら、またぼくは街へ出る。
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