ノンストレス渡辺の研究日誌

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私は私というあなたを救いたい

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1年を振り返ろうと過去の日記を読み返してみると、過去の自分はたくさん泣いていた。


記憶力が悪いこともあり、過去の自分はもう他人のように感じられる

日記の文章を読み返せば確かにそんな事があったなと思い出せるが、とても遠いところでの出来事のようだ

 

 

でも、確かにおぼろげな記憶とともに、そのときの自分の断片みたいなものが自分の中にある

だけど、そいつはやっぱり他人だ。時間の経過とともに、自分も少しずつ変わっていって、そいつとは別人になっていった。

感覚的にももう他人としか思えない。


なんかコイツ、こんなにたくさん泣いて可哀想だな、と思った。

そいつの気持ちもよくわかった。わかりみが深かった。

そりゃそうだ。そいつは昔の自分なんだから。

 

助けてあげたいと思った。

とても可哀想で、我が子のように愛おしい。我が子いた事ないけど。

 

過去の自分は、自分の記憶の中だけの存在だ。

だからそいつに会えるのはもう自分しかいない。

だからそいつを救えるのはもう自分しかいない。


過去のソイツが負った心の傷は、いまの自分の中にもある。

今でもたまに疼く。いや割と頻繁に痛む。

 

自分のために頑張るのはシンドイ。

でも過去の自分という他人のためなら頑張れるような気がする。

 

過去の自分に対してなら、見返りも求めないし、押し付けがましくもならないはずだ。

だから、そいつを助けるために頑張るというのは、心の置き所としてはなかなか良いんじゃないかと思う。

 

来年は、いつまでもメソメソ泣いてるどうしようもないヤツを、しょうがないから助けてやろう。