ノンストレス渡辺の研究日誌

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人はなぜ恋をするのか?その理由があまりにも悲しすぎた

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人が恋をすること。

それはとても当たり前のことのように思えますが、ではなぜ恋をするのかということを考える人はあまりいません。

 

 

子孫をつくるため?

そのために、異性同士がひかれ合うための仕組み(機能)が必要だった?

 

確かに、それも1つの答えかもしれません。

子供をつくる(自分の遺伝子を残す)ということは生物にとって最も重要な生きる目的ですから。

 

しかし、それに関しては性欲だけでも充分なはずです。

性欲だけでは、男女の絆を深めることができず、協力して子供を育てることができない?

 

いや、それは違います。

男女の絆を深めるのは、恋ではなく、愛です。

恋と愛の違いをここで語ることはしませんが、この2つが似て非なるものであることはみなさんもおわかりでしょう。

 

子供をつくるためでも、子供を育てるためでもない。

では一体、ぼくたちはなぜ恋をするのでしょう?

あの燃え上がるような激情は、一体何のために存在しているのでしょう?

 

人が恋をする理由

あまり難しいことを言うつもりはありませんが、この疑問に答えるためには、人間を生物の1種として見る必要があります。

生物が進化していく中では、基本的にいらない機能は捨てられ、必要な機能だけが残っていく傾向があります。

 

ということは、「恋をする」という機能(脳機能)も何らかの必要性があって、ぼくらの身体に備わっているということです。

 

では、その役割とは何か?ということですが、東大教授(脳科学)の池谷裕二さんの著書『受験脳の作り方』という本に、こんな記述があります。

 

恋愛とはある特定の異性に惹かれる感情です。恋愛すると、それ以外の多くの異性が世の中にいるにもかかわらず、目に入らなくなります。それは自分が優秀だと感じた人間の子孫を残そうという意志の現れだと解釈されますが、もっとちがった捉え方も可能です。

 

世界には現在三十億の異性がいます。そのすべての異性に出会うことは不可能ですから、世界中から「本当」に自分にふさわしいたった一人の人間を選び出すことはできません。つまり、人は皆、ある程度満足のいく相手で我慢しなければならない運命にあるのです。もっと自分に合った人が世界のどこかにいるかもしれないのに、身近な人で満足しなければならないのです。

 

この理不尽な状況を見事に解決してくれるものこそが「恋愛感情」です。「自分にはこの人以外考えられない」「この人こそ私のすべて」脳に勘違いさせることで、満足感を補うのです。実際、恋愛感情が冷めてしまうと、「なんでこんな人のことが好きだったのだろう」と自分のバカさ加減にあきれることすらあります。

 

 

 

ぼくたちは、地球上の全ての異性に会うことはできない。だから、ある程度の異性で妥協させてしまうために「強烈なときめき」で脳を勘違いさせる、それが恋という現象があるというのです。

 

 

……なんてこったい。

ロマンのカケラもない!

 

勘違いって!!

 

ぼくらが散々胸をときめかしてきた純愛映画の数々はなんだったんだ!!

 

しかし、確かに、みんながみんな世界に1人の運命の人を探していたら、全然カップルが成立せずに、ヒトという種が滅びてしまいます。

それを解決する手段として、「恋」という一瞬の炎は、とりあえず関係を開始させるためには合理的な機能だと言えます。

火をつけないことには花火は上がりませんからね。

種としての人間は、そのために「恋」という機能を選択したというのは、納得のいく話です。

 

なんか悲しいけど…

 

科学の発展はロマンを殺していく?

恋に限らず、わかってしまうことで何かが失われるケースというのがあります。

 

昔は今よりも、世界に「わからないこと」が溢れていました

現代人は、「リンゴが落ちるのは、重力が働いているから」「地球は丸い」と当然のように知っていましたが、昔の人はそんなことは知りません。

 

しかし、わからないからこそ、「想像する余地」がありました

 

雷は、神が怒っているから起こるのだし、突然、人がバッタバッタと死んでいくのは、細菌による感染症ではなく、祟りによるものだと信じられてきました。

 

「神話」と呼ばれるものも、世界にわからないことが溢れている時代の人が、想像力をフルに働かせて書き上げたものです。そして、その発想には僕らをうならせるものがあります。

 

何でそんなことが起きているかわからないからこそ、そこに勝手に想像を加えることができる。それが時にとても面白いものを産んでいました。

しかし、科学が「なぜそれが起きているのか」を解明すると、そこに新しい想像を加えることができなくなってしまいます

 

これに関連して、『進化から見た病気』という本に、面白いことが書かれていました。

 

キリスト教の宗教画に描かれた天使には、ヒトと同じような手足を持ったうえに背中に、トリのような羽が生えている。しかし、進化的に見るとヒトの腕とトリの羽は相同器官(同じ骨を由来にしているが、進化の途中で枝分かれした器官)なので、四足動物ではその両方を持つことはありえない。

 

 

 

つまり、進化という観点からは、天使という存在は骨格上ありえない姿をしているということです。

もし、天使という存在を最初に考えた人がこのことを知っていたら、もっと違った姿にデザインしていたのだろうかと思うと少し笑ってしまいました。

 

しかし、そんなことは知る由もなかったから、おなじみのあの愛らしい天使というキャラが存在するわけです。 

 

科学の発展といえば環境問題などがよく引き合いに出されますが、意外なところでトレードオフの関係が成り立っているものです。

 

 

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