どうも。意識高い系ズボラのwaNABE(ワナベー)です。
別れてしまった元カレor元カノとの思い出はなぜにあんなにも美化されるのだろう。
そんなことを考えたことはありませんか?
ガガガSPというバンドがいますが、彼らも『国道2号線』という歌で、「思い出は時の流れとともに美化されてしまうから、これからもっと辛くなるんだろうなベイべー」的なこと(諸事情により意訳)を歌ってます。
以下の動画は弾き語りVer.です。
ええ歌や。
誰もが1度は直面するであろうこの問題ですが、この問題が起こる心理学的な理由を今回突き止めましたので、紹介します。
参考にした書籍はこちら。
目次
記憶は歪むことがある
ぼくらは基本的に自分が記憶していることを信用しています。
しかし、記憶は時として嘘をつくことが報告されています。
有名なのが、1993年にイギリスで起きた「偽りの記憶訴訟」と呼ばれる事件。
ある高名なカトリックの聖職者が、「性的虐待を受けた」という根も葉もない偽りの記憶よって、ある青年から突如訴えられた事件
しかし、綿密な調査の結果、これが青年の偽りの記憶(フォールス・メモリ=false memory)であることが判明した。青年には誰かを騙す気などはまったくなく、本当に記憶が歪んでしまっていること、そして、そのような客観的事実は存在し得ないことが、科学捜査によって立証されたのだ。
このような、なんらかの記憶違いから発生してしまう訴訟問題は、欧米では数多く報告されているよう。
ついにアメリカでは、偽りの記憶症候群協会(False Memory Syndrome Foundation)が、続いてイギリスでも、偽りの記憶英国協会(British False Memory Society)というものが設立された。これらの機関では、偽りの記憶によって、突如「加害者」にされてしまった人たちを、救済する活動が行われている。
そして、偽りの記憶は誰にでも起こるものと言っています。
思い違いは誰にでも起こる。実際、思い違いがきっかけになって訴訟を起こす人たちは、何も精神疾患者や記憶障害者ではない。ごくごく「普通の」人たちなのである。
虐待は極端な例としても、日常的にも、これに類似したようなことは、たしかにある。「あのときこういった」「いや、いわなかった」といった水掛け論はよくある話だ。
こうした実態を踏まえて、近年の記憶研究においては、①被験者の「思い出」を対象にした研究は信憑性がない、②記憶は思い出すときにかなり歪み、本人さえもそれに騙される。ーこの2点が常識となりつつあるのだ。
記憶が歪んでしまうのは、どういう時か?
記憶は、強制的に、繰り返し思い出させられるような場合に歪んでしまうらしい。
それは次のような実験で確認されているといいます。
実験では、「(何年も前に卒業した学校の)同級生のフルネームを、なるべくたくさん思い出してください」という課題を与える。
しかし、1回のトライアルだけでなく、被験者に「もっと頑張って、もっと思い出せるはずです」と促し、半ば強制的に、何度も繰り返し、同級生のことを思い出すように仕向ける。
すると、1回目の想起では出てくる名前の数も少ないが、まったくと言っていいほどエラーは見られない。
しかし、回数を重ねるごとに、書き出される名前の数は増えるが、どんどん存在しない人物の名前が挙げられていくことになるという。
繰り返し思い出すことで、虚偽の記憶が作りだされていったと考えられる。
類似した実験は他にも行われているが、やはり繰り返し思い出すことで、偽りの記憶を導きやすくなる結果になったという。
したがって、たとえばあなたが面接官だとして、受験者の採否を決定する場面などでは、「どんな人だったか」「どんなことをいっていたか」ということを、時間をかけて、何度も何度も想起することは心理学的には危険なことである。
自分の記憶の中にある情報をウロウロ探索するだけで、何度も思い出そうと躍起になると、偽りの記憶がつくられてしまう確率が格段に高まってしまうのだ。
さらに、繰り返し想起する場合でなくても、単に時間が経過するだけで、記憶は歪んでいくという説もある。
なぜなら、「会ったときに自分自身はどう感じたのか」という「感覚的」な記憶は、時間が経つと変わってしまうものだからだ。
つまり、相手サイドに関する記憶も時間が経つとおぼろげになってしまう。
「胸が熱くなった」「ウマが合わない」などという直感的な記憶は、1か月後にはまったく違うものに変わっていたり、忘れてしまっていたりすることが観察されている。
これを読んでぼくは、これらの現象と元恋人との思い出が美化されることは関係があるように思った。
別れた後というのは、別れる前のことをつい何回も思い出して反芻したりするものである。
そして当然、別れてしまった後、徐々に時間は経過していく。
そうした過程を経て、恋人との思い出への印象が徐々に変容していくのではないだろうか、と。
なぜ美化する方へ、歪むのか?
記憶が歪んでいくものということはわかりました。
では、なぜその記憶(思い出)は悪い方へ歪むのではなく、美化される方へ歪んでしまうのか。
これも心理学で説明できそうです。
心理学で「希少性の価値の効果」と呼ばれる現象があります。
たとえば、「10杯限定ラーメン」や「20個限定福袋」には、その中身がどうあろうと、人の列ができる。
まあ、心理学を持ち出すまでもなく、感覚的にわかると思います。希少性には価値があります。人は限定ものに弱いです。
それが元恋人との思い出とどう関係があるのか。
恋人との思い出とはつまり、別れた恋人と一緒に過ごした日々の記憶です。
しかし、その恋人とはもう別れてしまっているので、再びその人とそうした日々を送ることはできません。
つまり、その日々を再び手に入れることはもうできないのです。
手に入らない=最強の希少性です。
こうして、想起と時間の経過によって輪郭を失った思い出は、希少性という力学が働くことで、より美しい姿へと形を変えていくのです。
以上が別れた恋人との思い出が美化される心理学的理由でした。
恋人との別れは多かれ少なかれ痛みを伴いますが、思い出は必要以上に美化されるものなんだなと知っていれば、多少その痛みも気にならなくなるかもしれませんね。
そんなの私には縁のない話だ(いろんな意味で)という人は、今回の話は飲み会の話のネタにでもなれば、コレ幸い。
今回紹介した本は、ほんまでっかTVでおなじみの慶應義塾大学・植木理恵先生が書かれたものです。
植木さんの書籍自体は多く出ていますが、本書はその中でも「研究できちんと立証された学説で構成している」といい、本人もかなり気合いを入れて書いた本のようです。
本書では他にも、「自分を好きになる方法は?」「人はどうやってマインドコントロールされるのか?」「人をやる気にさせるにはどうすればいいのか?」など興味深い内容が多く書かれています。
心理学に興味があったり、心理学の知見を実生活に役立てたい人、飲み会の話のネタにしたい人は是非手を取ってみてください。
では今日はこの辺で。
じゃナベー。
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