ノンストレス渡辺の研究日誌

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僕は「世界一不幸な人間」だと思っていたけど、本当に「世界一不幸」だった

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僕は、世界で1番不幸な人間だ。

そう思っていた。

 

高校時代に、ケガで生き甲斐だった陸上競技を諦めたとき。

大学生時代に、就職活動しているとき。

会社員時代に、吐きながら会社に通っていたとき。

 

ぼくはそう思っていた。

そして、その考えは、間違えじゃなかったと今でも断言できる。

それに関して、誰もぼくを論破できないことも断言できる。

 


人は自分というフィルターを通して世界を見ている。

 

この宇宙、この地球、この国、この町、ぼくらをとりまく、モノと他人。

それらを、自分の目と耳と肌で感じ取って、自分なりの解釈で意味づけをしたものが、僕らが認識している世界だ。

 

自分をとりまく全ての存在を、自分の世界観というメガネを介して見ている映像が、その人にとっての世界だ。

 

だから、君とぼくとでは、見ている世界、見えている世界がまったく違う。

君はレバーという食べ物が好きかもしれないが、ぼくはレバーが嫌いだ。

君はレバーというモノが美味しく感じられる世界で生きているが、ぼくはレバーが不味い世界を生きている。

物体としてのレバーは全く同じなのに、僕らの解釈を経て認識されるレバーは全く別物だ。

違うメガネをかけていれば、見える世界が違ってくるのは当然だ。

 

同じように、

全く同じことを言われても、それをセクハラだと感じる人もいれば、そうじゃない人もいる。

学校でイジメられて引きこもりになる人もいれば、そうじゃない人もいる。

高校時代、生き甲斐だった陸上競技ができなくなって、自分は世界一不幸だと思う人もいれば、そうじゃない人もいる。

大学時代、就職活動がツラいときに、自分は世界一不幸だと思う人もいれば、そうじゃない人もいる。

会社員時代、吐きながら会社に通っているときに、自分は世界一不幸だと思う人もいれば、そうじゃない人もいる。

 


ぼくらをとりまく全ての物事を、自分の価値観で意味づけを施したのが、その人にとっての世界だ。

だから、仮に「誰が世界で1番不幸か?」を決めようとしたとき、その人が遭遇した出来事を比較することでそれを決めることはできない。

 

勤めている会社が倒産してもあっけらかんとしている人もいれば、1000円札を落としただけで立ち直れなくなるぐらい落ち込む人もいる。

出来事だけを見れば前者の方が不幸だと思われるが、実際に感じている不幸が大きいのは後者だ。

不幸の総量は、その人がその出来事にどういう意味づけをするかで決まる。


だから、自分が世界1不幸だと思えば、

本気でそう思い込んでいれば、

紛れもなく、そいつが世界1不幸な人間なのである。

ぼくらは、不幸になろうと思えば、いくらでも不幸になれる。

 

それはつまり。

同時に、ぼくらは幸福になろうと思えば、いくらでも幸福になれるということだ。

 

先日、偶然入ったファミマで、元気よく男性店員が働いていた。

本当に楽しそうに働いていた。

その明るい人柄に魅かれてか、地元の人も親しみを持って話しかけていた。

その声にもまた、彼は元気よく笑顔で答えていた。

 

ぼくも大学時代コンビニでバイトしていたことがあった。

はっきり言って、コンビニの仕事は単調な作業ばかりだ。

だから当時のぼくは、つまらない仕事だと感じていた。

お客への応対も、決して愛想のあるものだとは言えなかっただろう。

 

だから彼の、そうやって働く姿勢に、本当に尊敬の念を感じた。

彼は決して、爽やかイケメンでもない。

どちらかというと、モサい。そしてちょっと太っていた。いや、結構太っていた。

そんな彼は、コンビニで楽しそうに、幸福そうに働いていた。

彼は、コンビニの仕事というものを、かつての僕とは違う解釈で見ていた。

違う世界で生きていた。

 

小学生の時、ボランティアだか何かで途上国の支援をしているという人が、講演に来たことがあった。

その時に、

いま支援している国の人たちは、インフラや物資の面では日本の足元にも及ばないし、感染症や紛争も絶えない。だけど日常生活では、日本の人たちよりよく笑うんです

と、言っていたのを思い出した。

 

僕らは誰でも、世界1不幸な人間になれる。

そして、誰でも、世界1幸福な人間にもなれる。


今、世界を見るための、あなたのメガネは汚れているかもしれない。

今、あなたの世界で、あなたは世界1不幸な人間かもしれない。

だけど、メガネが汚れているのなら、それを磨けばいいだけだ。

 

もちろん、こびりついた汚れは、1日では落ちない。

爪を噛むクセが1日では治せないように、

頭にこびりついた思考のクセは、一朝一夕では変えれないだろう。

だから、少しずつ変えていくしかない。

少しずつメガネを磨いていくしかない。

 

ときには、一向にレンズが綺麗にならず、メガネを磨くのが嫌になるかもしれない。

ときには、突然の砂嵐で昨日よりレンズが汚れてしまうかもしれない。

ときには、誰かの悪意でレンズが汚されてしまうかもしれない。

だけど、ときには、誰かが一緒にレンズを磨いてくれるかもしれない。

 

そうやって諦めずにレンズを磨いていれば、いつかはレンズの汚れを落としきることができる。

そして、再びメガネをかけ直したとき。

これまで見てきた世界とは、まったく違う景色を見ることができるはずだ。

 

 

2018年は、もっと幸せになれる。 

良いお年を。