ノンストレス渡辺の研究日誌

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台風15号被災後初日:瓦礫の撤去が楽しいと感じてしまった話

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2019年9月9日、朝8時。

 

俺は憂鬱だった。
昨日の記事にも書いたとおり、台風15号によって屋根が飛んでいき、部屋の中はぐちゃぐちゃに荒らされた。
服や電化製品、布団、書類なども瓦礫の下。
泥水や木屑や壁の塗装剤らしき謎の粘性物質などにまみれ、もう捨てるしかないゴミと化している。そう確信していた。

 

だが、まだ助かる可能性はゼロじゃない。まだ何も確認していないからだ。
そして、そうだとしたら一刻も早く救出しなければならない。
だから、今ここで、今すぐに、対峙しないといけない。瓦礫の下に横たわっている現実と。
それがとても憂鬱だった。

 

どこから手をつけていいのかわからない。
とりあえず入り口近くから瓦礫を撤去して、目に付く物から救出していった。
最初に発掘されたのは服だった。
よく着る服は突っ張り棒でハンガーにかけていたので、台風をモロに喰らって瓦礫の下敷きになっていた。
どれもこれも、木材や畳のクズや汚水にまみれている。とてももう1度着れる、着ようとは思えない。きったない。

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でも洗ってみなければわからないという一縷の望みにかけて、とりあえず一箇所にまとめた。


集めたのはいいが、やはり汚い。洗う気になれない。しかも、洗うとしても今は停電しているから手洗いになる。その事もやる気を奪った。
洗うなら早くしないと汚れが取れなくなる。まだ瓦礫の下に埋もれてる服もある。全部を今日中にはムリだ。優先順位をつけなければ。どれは復活できそうで、どれはムリそうなのか?いま必要性の高い服は何か?ていうか本当に洗うのか?いや、洗わないと明日着る服がない。タオルもない。ていうか服より優先すべきものはないんだっけ?


昨夜の台風で睡眠不足の頭に、色んな選択を迫られる。途方にくれ、天を仰いだ。天井のない部屋から見える空は清々しいほど青かった。

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午前中の時間を使って、いま洗うべきだと思う服を1階に降ろした。
後、重要書類が入ったダンボールも1階に降ろした。雨水でふやけたダンボールが崩壊しないように運ぶのに気を使った。

 

昼食は、冷蔵庫にある腐りやすそうなものを優先して食べた。
台風の前に作っておいた鶏ハムとザワークラウト。

 

午後からは救出した服を手洗いしようと思った。
しかし、作業を始める寸前まで、「本当に洗うのか?」と何度も繰り返していた。それぐらいやる気がなかった。洗っても復活するイメージがなかった。
洗って干すまで、どういうフローでやるかを考えるのもダルかった。
だが、服は晴れてる内に干して乾かさないといけない。洗濯機の脱水もできないから尚更。早く取り掛からないといけない。
洗面器に水を入れて、そこに汚洋服をブチ込んで、じゃぶじゃぶと洗い始めた。
水はすぐに濁る。水を取り替えてもすぐ濁る。汚水をしっかりと吸い込んでいる。
1着を洗うだけでもやたら時間がかかった。こりゃ途方もない。
何着か洗って、干してみると、意外と乾けばまた着れるような気がした。白Tなどは流石に厳しいが。

 

ただただ洗った。そして干した。洗っては干し、干しては洗った。
ただ無心で、それだけを行なった。
何のために?明日着る服のために。明日を生きるために。そのために、早く洗って、干して、乾かさないといけない。
目的があって、そのために無心で身体を動かす。
何か、その状態が、とても心地よかった。
もうダメだと思っていた服たちが、なんだかんだで復活していく様を見ているのも、何だか元気をもらえているような気がした。

 

もう復活しそうにないもの、これを機に手放してもいいなと思えるものなどを捨てつつ、どうにか必要最低限の洗濯を終わらせた。
腹が減っていた。
自分は普段は、機能性ディスペプシアを患っているため、胃の膨満感が強く、空腹というものをほとんど感じない。
それなのに今日は空腹を感じていた。
空腹を感じていたため、夕飯が美味かった。生きているという感じがした。

 

18時半になると、もう日は沈む。
停電で灯りがないため、町中が真っ暗。
スマホの電灯を頼りに行動する中、友人のカメラマン・けんけんがロウソクを買ってきてくれた。
ロウソクってこんなに明るいんだと、その時初めて知った。

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住んでいたシェアハウスの管理者・池ちゃんが空いているアパートの一室を解放してくれたので、その日はそこで寝た。
行き場をなくしたシェアハウスメンバー3人で。
前日の徹夜と、1日中肉体労働をしたこともあって、泥のように眠った。


次の日も、瓦礫の中から私物を発掘する作業を行なった。
作業も2日目となると、だんだんとやる事が明確になってきた。
瓦礫からモノを取り出したり、汚れを拭き上げたり、せっせと運んだり。
それをただただ繰り返す。
次、雨が降る前に終わらせないといけないから期限は差し迫っている。
昨日と同じだ。生きるために、ただただ無心で、身体を動かす。
何から手をつけていいかわからない時は、とても憂鬱だったが、やる事が明確になってからはそんなことはない。
むしろ、こんな事を言っていいのかわからないが、楽しかった。
生きるという目的に向かい、ただただ無心で身体を動かすのは。
今日もやはり腹が減った。飯が美味かった。生きてる気がした。
じゃあいつも生きてないのか?
普段、PCで仕事して、ジムで運動をしても、腹が減ることはない。
普段の自分は生きてないのだろうか。

 

何でこんな感覚になっているのかは、いまだにわからない。
ただ、社会の歯車としての仕事では、人間は生の実感を得られないのかもしれない。
もっと、わかりやすく、自分が生きることに直結する行動・仕事をしながら生きていくという事が、人間らしい生き方という事なのかもしれない。
瓦礫の撤去を通じて、そんな事を思った。

 

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