ノンストレス渡辺の研究日誌

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【諦める力】「逃げちゃダメだ」は嘘?仕事や学校を辞めてはダメは思い込み

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http://www.cospa.com/detail/id/00000012220

 

「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」

 

みんな大好きな新世紀エヴァンゲリオン。その主人公の碇シンジ君の名言ともいえる有名なセリフです。

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http://www.evangelion.co.jp/1_0/story.html

 

「逃げる」というのは確かに何やら悪いイメージがあります。後ろめたさ、歯がゆさ、恥ずかしさなど、さまざまなネガティブな感情がわいてきます。しかし、逃げること、何かを途中でやめてしまうことは本当に悪いことなんでしょうか?


今回はそのことについて、プロ陸上選手の為末大さんの「諦める力」を元に考えたいと思います。

諦める力 〈勝てないのは努力が足りないからじゃない〉

 

 

この本の内容は、以下の3つに大別できます。

 

  • 戦略としての「諦める」ことのススメ
  • 人がなかなか物事をやめられない理由
  • やめどきを見極めるヒント

 

戦略としての「諦める」という選択

為末さんは、400メートル障害という種目で世界選手権で2度の銅メダルを獲得しています。そんな為末さんですが、中学生と高校の途中までは陸上の花形種目である100メートル、200メートルを専門としていました。200メートルでは中学記録も樹立しており、かなりの実力も持っていました。

 

しかし、高校3年の時に400メートル障害への転向を決意します。100メートルへの限界を感じ、また400メートル障害への適性を見出していたためです。

しかし、その際もやはり100メートルへの相当な未練があったといいます。それでもこの決断を下したことについて次のように語っています。

 

「諦めたくなかったから諦めた」

 

為末さんの目標は「世界で勝つこと」でした。100メートルをやめたのはその目的自体を諦めたのではなく、その手段である「100メートル」を諦め、「400メートル障害」という種目を選び直しただけなのです。

 

多くの人は、手段を諦めることが諦めだと思っている
だが、目的さえ諦めなければ、手段を変えてもいいのではないだろうか

 

目的さえ見失わなければ、その手段は変えても構いません。
むしろ、手段は自分の得意なことの方がいいに決まっています。向いていないのに、「やめることはいけないこと」とやめないことに執着するのはただ苦しいだけです。

 

あなたの夢が「プロ野球選手」だった場合、その目的は何ですか?
有名になって注目を浴びること?大金を稼ぐこと?女子アナと結婚すること?

 

そんなあなたが野球の才能がないことに気付き始めたとしたら、いっそやめてしまっていいのではないでしょうか。その目的を達成する方法は他にもあります。その目的の達成は、あなたの得意なことで再トライした方が成功する確率は高くなります。

「プロ野球選手になる」という手段自体が目的化してしまっていては、そのことに気付くことはできません。

 

「やめる」ことができない理由

なぜ人は合理的に「やめる」という判断ができないのか。それには色んな要因が絡み合ってひしめきあっています。

 

サンクコストという考え方ができていない

人が物事をやめられない理由の1つは、サンクコストという考え方ができていないことにあります。この考え方は本当に重要で、ぼくも初めて読んだときは目からウロコでした。

 

経済学に「サンクコスト」という考え方がある。埋没費用といって、過去に出した資金のうち、何をしても回収できない資金のことをいう。
ある映画を観ようと一八〇〇円を支払って映画館に入ったが、二時間の作品の三〇分を観たところで、耐えられないほどつまらないと感じたとする。しかし、入館して途中まで観てしまった以上、支払った一八〇〇円を取り戻すことはできない。これがサンクコストだ。
あなただったら残りの一時間半をどのように行動するだろうか。人はつい「せっかく一八〇〇円払ったんだから」という理由だけで、最後まで映画を観るという選択をしがちだ。しかし、つまらない映画を観続けることで、一八〇〇円のサンクコストだけでなく、そこで映画館を出ていれば有効に使えたかもしれない一時間半という時間まで無駄にすることになる。経済学では、今後の投資を決定するときに、絶対に返ってこないサンクコストを考慮しないのが鉄則とされている”

 

“日本人は「せっかくここまでやったんだから」という考え方に縛られる傾向が強い。過去の蓄積を大事にするというと聞こえはいいが、実態は過去を引きずっているにすぎないと思う。”


つまり、日本人特有の「もったいない」という感覚が裏目にでているわけですね。

ある分野のスキルを身に付けるのに、それに注ぎ込む時間が多いに越したことはないのはもちろんです。しかし、人生の途中で他のやりたいことに気付くことも往々にしてあります。

 

誰もが野球のイチロー選手のように人生の早い段階で自分の得意なことに気付けるとは限りません。やっている途中で限界に気付くこともある。

 

あなたが人生の途中で、これまでとは全くちがうやりたいことに出会った時、あるいは今やっていることが「向いてないな」と感じた時、これまでやってきた時間の長さだけを理由に続けるのはやめた方がいいです。

 

自分がやってきたことを否定するのは難しい。自分が成功しない根拠となるような情報には、触れたくないのが人情だ、しかし、続けることそのものが目的でないのなら、意識してでも現在の自分に対するネガティブな情報を入れなければならない

 

「やめる」ということに対する日本人的な価値観

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http://www.evangelion.co.jp/1_0/chara.html

 

日本人には以下のような価値観を持っている人が多いです。

  • 一意専心を是とする
  • 続けていることを無条件で賞賛する
  • やめることを批判する

 

日本人は一意専心が大好きです。1つのことに集中していないと不真面目なやつと批判される。

今でこそ、野球の大谷選手は投手と打者の2刀流で活躍していますが、昔はプロ野球で2刀流なんてやろうものならそれだけで「喝!」とか言って怒られました。得意なことがいくつかあるなら、他のことに手を出してもいいだろうに。

 

確かに一意専心というのは何だか格好いいイメージがあります(そういうイメージを持つこと自体が日本人的なのかもしれない)。しかし、一意専心とは言い方を変えれば「それしかできない」ということでもあります。ということは、今やっていることがダメだったとき、何もできない人になってしまう。リスクを分散する上でも色んなことをやることは大切です。株式投資でポートフォリオを組むのと同じ。

1つのこと、それだけを続けなければならない、という価値観も1つのことをやめにくい原因になっています。


また、日本人は長く続けていたもので大成功するというサクセスストーリーも大好きです。メディアでは長く続けさえすれば絶対成功すると断定している節さえある。確かに、1つのことを長いあいだ継続して成功したという人の話はよく聞きますが、それは成功した人しか取り上げていないからです。その成功者の影には、長いこと続けても失敗した人が多くいる。しかし、失敗した人を取り上げても盛り上がらないから、成功した人を取り上げる。

結果、「やっぱり、苦しくても続けることが大事なんですね〜」というコメンテーターの無責任な感想が、さも一般論かのようにお茶の間に届けられることになります。

 

スポーツの世界では、とりわけ「中途半端なところで諦めるべきではない」という価値観が強い。途中で諦めたら、どの世界に行っても同じことが続くぞ、とお決まりのように言われる。そう言う人には聞いてみたらいい。「では、あなたは僕がやめずに続けたとして、どのくらいまでいくと思いますか」その問いに対する答えが具体的で根拠のあるものなら、考え直すのもありだと思う。しかし、ただ「諦めるな」と言っているだけなら聞き流せばいい

 

ぼく自身もまわりの目を気にしすぎて、やめるという決断ができなかったことがあります。ぼくも為末さんと同じように陸上競技の短距離をやっていました。中学生のとき、全国大会で入賞し、高校でもいい成績を残すことを期待されていました。

しかし、高校生になると、頻繁にケガをするようになり、思うように練習できず試合にも出られない日々が続きました。当時は精神的に相当苦しんでいました。しかし、そのときぼくの中にやめるという選択肢はまったくありませんでした

 

「途中で諦めた根性なしだと思われたくない」「途中で投げ出すのはいけないこと」「逃げちゃダメだ」そう考えていました。

 

当時のぼくは一意専心大好きっ子でもありましたので、苦しい苦しいと思いながら陸上のことしか考えていませんでした。陸上以外の、例えば趣味なんかを楽しむことすら、「陸上もちゃんとできてないのに、何楽しんじゃってるの?」と罪悪感を感じていました。もう完全にドツボにはまっていた。結果、ぼくは精神的にかなり疲弊した末、結果を残すことなく高校の3年間を終えました。


完全にやめないことが目標になってたわけです。あんなにストレスを感じるぐらいだったら、やめて他のことを頑張ればよかったんです。あるいは、陸上を続けながらでも、他のことを始めてみてもよかった。頑張るべき対象は他にいくらでもあるんですから(当時はそれが見えてなかった)。


一度やめたらやめ癖がつくというのは、やめること自体に過剰なネガティブなイメージがついているから、やめた自分に対するネガティブなイメージが次の挑戦を邪魔するからです
あのストレスで寿命が3年は縮んだだろうな〜。真面目くんだったんですね。悪い意味で。


やめることに否定的な息苦しい社会を変えるために、為末さんはこんなことを提案している。

 

僕は「やめる」「諦める」という言葉を、まったく違う言葉で言い換えられないかと思っている。たとえば「選び直す」「修正する」といった前向きな言葉。そうすれば、多くの人にとって「やめる」「諦める」という選択肢が、もっとリアルに感じられるのではないだろうか


この本では、「やめる」という選択をなかなか選べない理由が他にも紹介されています。ぼくたちは気付かないうちに色んなものに縛られていたんですね。そして、最も気になるやめどきを判断するためのヒントも書かれています。確かに、これが難しいんですよね。続けるべきか、やめるべきかわからないからズルズルと続けてしまう。

 

自分の現状に息苦しさを感じている人、もっと楽に生きてみたい人、自分にはもっと輝ける場所があるんじゃないかと思っている人、自分は真面目すぎるなと思う人は是非手にとってみてください。

 

最後は、著書から引用したこの一文で締めたいと思います。

 

続けること、やめないことも尊いことではあるが、それ自体が目的になってしまうと、自分というかぎりある存在の可能性を狭める結果にもなる