会社員だった頃のぼくは、仕事をやめたくて仕方なかった。
サラリーマンというものをやめたくて仕方なかった。
なんなら、就活しているときも「就職したくねえ」「サラリーマンになりたくない」と割と、けっこう、かなり、四六時中思っていた。
だけど、会社員をやらずに生きていけるのは一握りの選ばれし人間だ。
ぼくらのような凡人は社畜として生きていくしかない。
どうしても辞めたければ、築43年のオンボロアパートに住むかホームレスになるしかない。
そうやって、極貧生活を送らざるをえない。
そう思っていた。
だけどぼくは会社を辞めた。
辞めることができた。
そして、辞めた今でも、会社員時代とほとんど変わらない生活水準で生きている。
凡人は会社員を辞められないというのは世界の嘘だった。
捨てるべきものを捨てれば凡人でも会社を辞められる。
その捨てるべきものとは何か?
1言でいえば、それは古い常識や思い込みだ。
ではその古い常識とは何なのか?
この記事では、会社員を辞めるために捨てるべき不要品について詳しく書いていく。
この記事をすべて読み終えたとき、あなたの意識はこれまでとは全く違うものになっているだろう。
- 「お金が足りない」という思い込み
- 結婚・子作りしないと惨めな人生が待っている?
- 夢のマイホームという刷り込み
- 自家用車はコスパが悪すぎる
- 「学歴・資格」の奴隷になってはいけない
- 世間体・見栄は一瞬で捨てられる
- 何かを捨てることができない人は何も得ることはできない
- 最後に残る恐怖心を捨てる方法
- つまり、全ての問題は◯◯◯◯◯◯を変えれば大体解決する
- まとめ 〜「仕事やめたい」「サラリーマンになりたくない」は〇〇を捨てれば誰でも可能〜
「お金が足りない」という思い込み
会社員を辞めたい人に、なぜ辞めないのか?ということを聞くと、
- 生活費のため
- 将来の貯金のため
- 老後資金のため
と答える人は多い。
ようは、お金が必要だからサラリーマンを辞められない、と。
しかし、生きていくのに意外とお金は必要ない。
それらは社会や企業の刷り込みだったりする。
彼らはあの手この手で、ぼくらにお金を使わせようとしてくる。
以下の動画は、「生活のために働く必要はない」と主張するホリエモンの動画だ。
この動画の中で、ホリエモンは
「月10万円あれば最低限の生活はできる。だから生活のために働くので手一杯になるということにはならない」
と言っている。
正直、月10万はちょっと厳しい気がする。
が、税金等を含めても月12~15万円あれば人並みの生活は十分可能だろう。
シェアハウスに住めば住居費や光熱費も(場所によっては食費も)かなり抑えられる。
服だって、今はユニクロやGUで充分にオシャレできる。
会社員には、会社員特有の出費というのもある。
(付き合いの飲み会、忙しくて外食ばかりになる、ストレス発散のため散財したりマッサージに行ったりする、通勤のための車、など)
だから、会社員を辞めればそういう出費もなくなる。
そして、この記事でこれから述べる古い常識と思い込みを捨てていけば、生きていくために必要なお金というのはかなり減る。
上の動画でも言っているように、大事なのは生活をミニマルにしていくことだ。
そうすれば、余計なものに人生を縛られることなく、生き方がかなり自由になる。
ぼくはある程度自分で稼げるようになるまで会社をやめなかった。
だけど、そのせいで会社のストレスをより長く浴びることになり、体調がかなり悪化した。
寿命が2~3年ぐらい縮んだ気がする。
無理してそんなことをするよりは、バイトでも気楽にやりながら自分の生きる道を探った方がよかった気もする。
生きるのにお金はそんなに必要ないのだから。
結婚・子作りしないと惨めな人生が待っている?
みんな結婚して子供を作るのが当たり前だと思っている。
そして、この家族を作るという行為にはやたら金がかかる。
結婚式の費用、子供の養育費、住宅ローンetc...
だから、会社員としての給料・待遇が必要で、会社を辞められない。
だけど、この家族を作るということをしなければどうだろうか。
自分一人の生活費を稼ぐだけなら、かなりハードルは低い。
最悪、バイトでも充分生活していけるレベルだ。
これで会社が辞められる。たったこれだけのことで。やった。今夜は赤飯だ。
でも、そんなことを言うと、こんな反論をしてくる人たちがいる。
- 結婚しないと寂しいし、周囲の視線が痛い
- 孫を期待している親に会わせる顔がない
- 子供がいないと老後が心配
こう言いたくなるのはよくわかる。
以前はぼくも似たようなことを考えていた。
しかし、これらの反論は必ずしも正しいとは言えない。
・結婚しないと寂しいし、周囲の視線が痛い
→ 結婚が当たり前というコミュニティーにいるからこういう問題が生じる。つまり、結婚が当たり前ではないコミュニティーに移動すれば問題ない。会社を辞めればコミュニティーの移動はしやすくなる。コミュニティーについてまた後で詳しく述べる
・孫を期待している親に合わせる顔がない
→ 子供はおもちゃでもペットでもないので、「親が見たがっているから」という理由でつくるものではない
・子供がいないと老後が心配
→ 老後に世話をしてもらう前提で子供作るのは間違っている。また、年金支給の時期も金額もわからない中、貯蓄だけで老後を乗り切ろうとすれば常に不安がつきまとう。つまり、定年を迎えた後も生活費ぐらいは自分で稼げるようになっておいた方がいい。そう考えると、①会社勤め以外の方法で稼ぐ方法を身につける、②長く働き続けるため健康寿命を伸ばす、ということが必要だ。そして、それを実現するにあたっては会社員を辞めた方が都合がいいという側面すらある。
以上、結婚しないと生きていけないという主張に、簡潔に反論した。
このへんのさらに詳しい内容は、明日12/15に公開する「結婚は人生の必需品ではなく贅沢品だと知ったとき、生きるのが死ぬほど楽になった」という記事に書いている。
*12/15追記
更新しました
▶︎結婚は人生の必需品ではなく贅沢品だと知ったとき、生きるのが死ぬほど楽になった
ここまで色々書いたけど、まあ結婚は別に捨てなくてもいいのかもしれない。
2人で住んだ方が生活費が安くなることもあるし。
自分が会社員でないこと、子供をつくる気がないことを受け入れてくれる人がいるのなら、結婚はしてもいいと思う。
あと、別に「絶対に結婚・子作りをするべきではない」と言っているわけでもない。
会社を辞めて自分で仕事を始めたりして、それでかなりの額を稼げるようになることもあるだろう。
そうなったら、結婚も子作りもガンガンやっていっていいと思う。
言いたかったのは、結婚も子供も、お金に余裕がある人のための贅沢品で、決して義務でも必須なものでもなんでもないということだ。
夢のマイホームという刷り込み
日本では「家を建ててやっと1人前」という考え方をしている人がまだ多い。
ぼくが前いた職場でも、一軒家を買うのが当たり前のような空気さえあった。
結婚→子供→一軒家という流れが幸せのお手本だと言わんばかりに。
「みんなが買っているから」とよく考えもせずに買っている人もいた。
一軒家を買うには、ローンを組むとしてもまとまった頭金などが必要だ。
そんな買い物をするから、必要以上に「人生にはたくさん金が必要」と錯覚することになる。
そして、大量の金を稼ぐために仕事を辞められなくなる。
一軒家がいらない理由は高価だからというだけではない。
環境の変化に対応できないという大きな欠点がある。
人生何が起こるかわからない
急に仕事を変える必要が出てくるかもしれない。
ぼくが前働いていた会社では、実は会社が裏でとんでもない不祥事を働いていたということが突然明らかになった。
本当に青天の霹靂だった。
その際、賃貸に住んでいる人は比較的身軽に転職することができていたが、一軒家を持っている人はやはり動きが遅かった。
人が辞めていくと、残された人たちはどんどん辞めにくい状況に追い込まれていった。
また、いつ自然災害に見舞われるかもわからない。
ぼくは2016年の熊本地震を被災した。
多くの家屋が倒壊し、家主たちは呆然と立ち尽くしていた。
一軒家を持つことのリスクをさまざまと見せつけられた出来事だった。
一軒家を持つと、急な引越しにも、不測の事態にも、自然災害にも対応できない。
場所に縛られることになる。
そういうわけだから、会社員かそうでないかに関わらず、一軒家は(金持ち以外は)いらないだろう。
一軒家を捨てれば人生のコストはグッと下がる。
自家用車はコスパが悪すぎる
車もとにかく金がかかるからいらない。
車を持っている人は次の2種類に分けられる。
- 必要だから持っている人
- 見栄のため or 娯楽のために持っている人
ぼくも会社員だった頃は、通勤に必要だったから車を持っていた。
別に欲しいわけじゃなかったけど、必要に迫られて買った。
しかし、とにかく金がかかる。
購入にももちろん多額の費用がかかるし、維持費がべらぼーに高い。
毎年の車税に、保険料、ガソリン代、洗車代。
事故が起きれば、こちらに過失がなくても金が必要になったり、保険料が上がったりすることもある。
会社で金を稼ぐために、車を所有して高い金を払い続けないといけないという状況が嫌で嫌でしょうがなかった。
というか納得できなかった。
会社員を辞めれば、働く場所(住む場所)にもある程度自由がきくようになるので、車が必要ない地域に住むのも容易になる。
ぼくも今は車が必要ない地域に住んでいる。
たまの遊びや用事でどうしても必要な時は、レンタカーやカーシェアで調達すればいい。
見栄や趣味で持っている人は、その贅沢と会社員でいる苦痛のどちらをとるかという話だ。
捨てるべきものを捨てれば手に入るものもある、ということを理解してない人は多い。
「学歴・資格」の奴隷になってはいけない
学歴や資格を活かして就職した場合、それらを捨てられなくて会社員を辞められないという人は多い。
ぼくもそういう考えを持っていた。
会社をやめようか迷っていたとき、
「必死に受験勉強をして旧帝大に入って、大学院にも進学し、生命科学の研究者としての専門性を身につけ、企業の研究者として就職したのに、それを不意にするなんて狂気の沙汰」
ということを知り合いに言われた。
だけど結局、それらを全部捨てて会社員を辞めた。
なぜ、多くの人は学歴や資格を捨てられないのか?
それは「もったいない」と感じているからだ。
それを手に入れるまでに費やした労力と時間がもったいない。
だから、どうにかその学歴・資格を活かせる道を探そうとする。
逆に言うと、その学歴・資格を活かせる道でしか生きられなくなっている。
そこでしか生きられないという思い込みに支配されている。
そういう人はサンクコストという言葉を学んだほうがいい。
これを知ってるか知らないかで、かなり人生が変わってくる。
経済学に「サンクコスト」という考え方がある。埋没費用といって、過去に出した資金のうち、何をしても回収できない資金のことをいう。
ある映画を観ようと1800円を支払って映画館に入ったが、2時間の作品の30分を観たところで、耐えられないほどつまらないと感じたとする。しかし、入館して途中まで観てしまった以上、支払った1800円を取り戻すことはできない。これがサンクコストだ。
あなただったら残りの1時間半をどのように行動するだろうか。人はつい「せっかく1800円払ったんだから」という理由だけで、最後まで映画を観るという選択をしがちだ。しかし、つまらない映画を観続けることで、1800円のサンクコストだけでなく、そこで映画館を出ていれば有効に使えたかもしれない1時間半という時間まで無駄にすることになる。経済学では、今後の投資を決定するときに、絶対に返ってこないサンクコストを考慮しないのが鉄則とされている”
為末大著『諦める力』より
会社員を辞められないという人も、このサンクコストにとらわれている。
会社員という生き方を変えたいと思いながら、「でも、ここでやめるのはこれまでの苦労がもったいない」と学歴・資格を捨てられないでいる。
学歴・資格に費やしたコストにとらわれて、これからの30~40年の人生を棒に振ろうとしている。
ぼくもそのコストが捨てられなくて、会社を辞めるという決断に踏み切れない時期があった。
だけど、それがもう取り戻すことのできないサンクコストだと知り、切り捨てることができた。
学歴や資格は人生を切り開くために取得するものだ。
それが、学歴や資格に人生を縛られるなんて、そんな馬鹿な話はない。
世間体・見栄は一瞬で捨てられる
会社に勤めていないことで、変な目を向けてくる人がいることも事実だ。
その視線が気になってしょうがない人もいるだろう。
だけど、これも結婚のところで触れたことと同じで、コミュニティーの問題である。
会社に勤めるのが当たり前と思っている人で形成されているコミュニティーの中にいては、どうしてもそういう目で見られてしまう。
そして、今の社会ではそういう考え方の人の方が多いのも事実だ。
だから、そういう価値観に毒されていないコミュニティー、会社員以外の生き方をしている人たちのコミュニティーに移住すれば、この問題はあっさり解決する。
何度も言っているように、会社員を辞めればコミュニティーの移動は容易になる。
コミュニティーについては、またこの後詳しく述べる。
何かを捨てることができない人は何も得ることはできない
ここまで、あれも捨てろこれも捨てろと言われて、
「そんなに何でもかんでも捨てられない。自分も普通の人と同じように結婚したり家を建てたりしたい」
と思った人もいるかもしれない。
だけど、何かを捨てることができない人には、何も変えることはできない
トレードオフという言葉があるように、何かが欲しければ何かを諦めなければならない。
会社員時代にこんなことがあった。
昼休みに同期の人らと話していた時のことだ。
その内の1人が
「新しい車を買った」
と言った。
とても高い買い物だったそうで、
ローンを組んで、頭金に先月出たボーナスを全部突っ込んだそうだった。
彼は、とても嬉しそうにはしゃいでいた。
そしてその後、嬉々として新車のことを語ったのと同じ口で、次に会社の愚痴を語り出した。
そして、こう言った。
「ああ、会社辞めてえ」
と。
その行動の矛盾にぼくは少しイラっとした。
いや、わかってはいた。
彼が言った「会社辞めたい」というのは、ただ日ごろの不満を口にしたいだけで、本気で会社を辞めたいわけではないということを。
宝くじで一等が当たれば会社を辞めたいぐらいの軽い気持ちの発言であることを。
だけど、その時、ぼくは本気で会社を辞めたかった。
死ぬほど会社を辞めたかった。
その年のボーナスは、会社を辞めるための活動に全部突っ込んだ。
そんなぼくにとって、彼の発言に、会社を辞めたいと言いながら自分から会社を辞められない状況に身を投じる彼のその行動の矛盾に、イラつきを感じずにはいられなかった。
それか、もしかすると。
たぶん、違うとは思うけど、もしかすると。
彼も本気で会社を辞めたかったのかもしれない。
辞めたかったんだけど、知らなかったのかもしれない。
結婚や、一軒家、車などの贅沢品で、自分の人生を縛り付けなければ、会社を辞めることはできるということに。
何かを得るために何かを捨てろと言うとすごく厳しい言葉のように聞こえる。
だけど、この記事で伝えたかったのは、
「結婚も、家も、車も、人生の必需品ではなく贅沢品だ。そして、その贅沢品を捨てれば会社員じゃない生き方をするのはみんなが想像しているよりは簡単だよ」
という、割とゆるめのメッセージだ。
自分一人を養うだけなら、会社を辞めるハードルはかなり下がる。
そして、これらの贅沢品も、一時的に諦めているだけで、永久に放棄しているわけではない。
ぼくは、結婚という選択肢を一時的に捨てているけど、この先仕事がうまくいって、収入にかなりの余裕が出てくることがあれば、結婚したり子供を作ったりするかもしれない。
まあ、相手がいればの話だけど。
最後に残る恐怖心を捨てる方法
最初に「古い常識や思い込み」を捨てれば会社は誰でも辞められると言ったが、
実はもう1つだけ捨てなければならないものがある。
そいつは全てを捨てた後に、ひょっこり現れる。
お金に関する思い込みも捨てた。
結婚しなくても生きていけることも理解した。
学歴・資格に固執することの馬鹿らしさもわかった。
捨てるべきものを捨てる用意はできた。
じゃあ、あとは最後の一歩を踏み出すだけだ。
上司の目の前に退職届を差し出すだけだ。
しかし、その最後の一歩がなかなか踏み出せない。
まだ、まだ胸の奥で何か、わだかまりを感じる。
ざわざわと蠢いている。
これはなんだ?
そう、恐怖だ。
これだけは「捨てよう」という意志だけで捨てられるものではない。
ぼくもそうだった。
会社員をやめても何とかなるということは頭では理解した後でも、この恐怖心をなかなか打ち消すことはできなかった。
論理だけではこの感情を納得させることはできない。
なんだかんだと御託を並べても、怖いものは怖いのである。
小便をチビりそうなのである。
この感情を説き伏せる方法は1つしかない。
それは、会社員ではない人たちのコミュニティーに訪れ、その空気を吸うことだ。
実際にその人たちに会って、話をしてみることだ。
百聞は一見に如かずは本当に正しくて、いくら会社を辞めても大丈夫とこの記事に書いてみても、いくらそういう人たちの生き様を本や映像で見ても、会社を辞めるという恐怖心を払拭するのは難しい。
未来に怯える感情を納得させるには、実際に会って、よりリアリティーに富む情報に触れるしかない。
ぼくもそうだった。
ぼくの場合、ギークハウス新宿というところに泊まったのが転機の1つだった。
ギークハウスはインターネット好きの人が集まるというコンセプトのシェアハウスだ。
ニートやフリーターやエンジニアの人など色々な人が住んでいる。
当時のぼくは、会社を辞めたいけど、その恐怖から最後の一歩が踏み出せないという状況にいた。
その決断に少しでも現実味を出せればと思い、「まだ辞めてないけど、もし辞めた場合にその後住む部屋を探す」という体で、物件の内見に行くことにした。
会社を辞めたら、生活費を抑えるためにシェアハウスに住むつもりだった。
なので、内見する物件の1つに、ギークハウス新宿も入っていた。
ギークハウス新宿の管理人であるときさばさんという人に、
「内見を兼ねて宿泊させてください」
とTwitterでDM(他に窓口が見つからなかった)を送ってアポをとった。
一泊2500円だった。
当時ぼくは熊本に住んでいたが、内見に行くためジェットスターに乗って東京へ行った。
キークハウス新宿の住人は穏やかでみんな良い人だった。
人見知りコミュ障のぼくでも全然ストレスを感じなかったのでそれは間違いない。
住人の1人がリビングでFF15をプレイしていた。
それを見ながら3~4人が集まって雑談していたので、ぼくもそれに混じった。
ゲームを見ながら雑談なんていつぶりだろうか。懐かしいワクワク感を感じていた。
そこには様々な人がいた。
無職の人。30代だけどN高(ニコニコ動画のドワンゴが作った高校)に通っている人。自分の部屋があるのになぜかベランダにテントを張って住んでいる人(しかも12月)。企業で働くエンジニアの人もいた。
製薬会社の会社員を普通に続けているだけでは、まず会えない人たち。
そして、無職の人も、30代の高校生も、まあなんとか生きていけるよという空気を漂わせていた。
実際に「まあ何とかなりますよ」と言っていた。
どんなに理屈を並べても、この一言に勝るものはない。
実際に「なんとかなっている人」の生の声に、生の姿に勝るものはない。
文章や写真とは、情報量がまるで違う。
だからもちろん、この文章でこのときの状況やぼくの気持ちを正確に伝えることもできない。
この気持ちを知りたければ、ぼくと同じように、実際に当事者たちに会ってみてくださいとしか言いようがない。
どんな論理的説得にも応じなかったぼくの恐怖心も、この声を聞いてやっと納得してくれた。
しかし、それも無理もない話だ。
サラリーマンだけのコミュニティーの中で、「サラリーマンを辞める」なんて言えば、まず間違いなく、
「そんなんで生きていけるわけない」とか、
「絶対に後悔するからやめろ」とか、
言われる。
新しい一歩を踏み出そうとしていてただでさえ心細い状況だ。
そんな状況で、不安を煽るようなことを四方八方から浴びせられれば、よほど強靭な精神力を持っていないと会社を辞めるなんてことはできない。
だけど、周りがそんなことを言ってくるのも、それもそれで無理もない話でもある。
彼らは会社員以外の生き方を知らない。
自分も周りの人も会社員しかいないコミュニティーでは、それ以外の生き方は完全に未知の世界だ。
その生き方しか知らないので、それとは違う生き方をしようとしている人に対してはアドバイスのしようがない。
だけど、何か言わないとバツが悪い人もいるようで、なんとか言葉を捻り出そうとする。
その結果、「自分にとって未知の世界=怖いところ=足を踏み入れない方がいい」という三段論法で、「絶対に後悔するから会社は辞めない方がいい」という根拠のない助言を浴びせてくる。
何か新しい世界に行こうとするなら、当事者の話を聞くのが1番だ。
サラリーマンを辞めるかどうかの決断に、サラリーマンしかやったことない人の話を参考にしても仕方ない。
それは、留学しようとしている時に、日本の大学しか通ったことがない人に助言を求めているようなものだ。
だから、ぼくは当事者に会った。
そこで、彼らの「大丈夫ですよ」という声を聞いた。
そして、彼らの話と、言葉と、実際に生活をしている姿を見て、「そうか、大丈夫なんだな」と心から納得した。
頭の中の、論理と感情を納得させることができた。
だから、その2日後の月曜日に退職願を提出した。
つまり、全ての問題は◯◯◯◯◯◯を変えれば大体解決する
古い常識や思い込み。
そして、新しい世界へ踏み出す恐怖心。
それらを捨てるための方法を考えると、結局すべての問題がコミュニティーというキーワードに行きつく。
すでにサラリーマンとは違うやり方で生きている人たちのコミュニティーにまず関わること。
そこでの常識や空気に触れること。
そして、最終的にはそのコミュニティーの中に入っていくこと。
そうすれば、ここまで述べてきた「捨てるべきもの」は特に苦労することなく、自然と捨てられるようになる。
コミュニティーに関連してもう1つ大事なことを言いたい。
実際、会社員を辞めて1番困るのは、「お金」の問題ではない。
「安定」の問題でもない。
それらも大切なことではあるけど、もっと重要な問題がある。
それは、「孤立しやすくなる」ということだ。
会社員をやっている人は、知り合いのほとんどが会社員という人が多い。
そういう人が会社を辞めると、平日の朝から晩まで人と会う機会が全くなくなる。
平日の夜中も、休日も、毎日友人と会う機会を取り付けるのもなかなか難しいだろう(友人がサラリーマンならなおさら)。
そうすると、誰とも会話しない日もかなり多くなってくる。
そうなって初めて、「会社に行くのは嫌だったけど、会社で人に会う機会があることはありがたいことだったんだ」と気づく。
サラリーマンを辞めてしまうと、多くの人は孤立してしまう。
孤立すると、精神的に不安定になるし、人を介して得られる「生の情報」からも断絶される。
こうなるのはかなり危険だ。
だから、サラリーマンを辞めたい人は、辞める前に似たような境遇の人が集まるコミュニティーに入っておく目処を立てておくことが重要だ。
京大卒ニートととして有名なPhaさんも、「社会不適合者でも、集まって暮らせば死ににくい」ということをよく言っている(ちなみにPhaさんは前述したギークハウスを最初に作った人だ)。
そうすれば寂しくないし、住む家や食べ物などもシェアすれば安く済むし、知り合いづてに仕事をもらうなんて機会も生まれてくる。
▼参考文献
ぼくがギークハウス新宿に行くことで、会社を辞めるという恐怖心を取り除けたのも、このことがその場の空気から伝わってきたことが大きい。
まず、そういうコミュニティーに少しでもいいから関わりを持ち、古い常識や思い込み、会社を辞めることの恐怖心を捨てる。
そして、どこか自分が入っていけるコミュニティーが見つけてから、会社を辞めよう。
そういうコミュニティーを探すには、インターネットをうまく活用するのがいい。
ちなみにぼくは現在、千葉県の金谷にあるコワーキングスペース「まるも」というところで仕事をしている。
結局、色々あってギークハウスには住まなくて、これまた色々あってまるもに居つくことになった。
まるもにはフリーランスとして働いている人たちがけっこう集まっていて、フリーランスのコミュニティーが出来上がっている感じだ。
まるもを中心にシェアハウスやアパートが点在していて、だいたいみんなそこに住んでいる。
それと、まるもでは「田舎フリーランス養成講座」というものが定期的に開催されて、未経験からフリーランスを育成することにも力を入れている。
実際、この養成講座を経てフリーランスになった人が今もそのまま「まるも」で働いている。フリーランスになったあとは、定住せずに各地を転々としている人もいる。
さっき名前を挙げたギークハウスも、「インターネット好きが集まるシェアハウス」というコンセプトで都内を中心に、日本全国に何箇所も存在している。
ぼくも機会があれば1度はギークハウスに住んでみたいなと思っているところだ。
そんな感じで、まだまだそういうコミュニティーは存在すると思うので、探してみるといいんじゃないだろうか。
まとめ 〜「仕事やめたい」「サラリーマンになりたくない」は〇〇を捨てれば誰でも可能〜
必要なのは古い常識や思い込みを捨てることだ。
それによって、生活をミニマルにする。
そして、同じような生活をしている人たちが集まるコミュニティーに移動し、孤立しないようにする。
繰り返すが、ぼくは別に「まだサラリーマンで消耗してるの?」とか言いたいわけじゃない。
凡人がサラリーマンを辞めるためにはそれなりに捨てるべきものも出てくることは前述のとおりだ。
会社を辞めたいと言いながらも、良い車に乗りたい気持ちの方が強い人もいる。
そういう人にはぼくの今回の提言は当てはまらない。
だけど、かなり本気で会社を辞めたいと思っているけど、辞められずにいる人もきっといるはずだ。
そういう人たちに、「人生の必需品だと言われているものの多くが実は人生の贅沢品で、それを捨てれば会社は辞められる」ということを伝えたくてこの記事を書いた。
別にぼくは霞を食って生きているわけでもないし、みすぼらしい格好をしているわけでもない。
人生を縛る思い込みの枷を外せば、僕らはもっと楽に生きられるということを忘れないでほしい。
P.S. 会社を辞めた人の「まあ、なんとかなりますよ」という声を聞きたい人は、ぼくでよければ「まるも」に来てもらえれば耳元で囁きますよ。